【書介】ロス・マクドナルド『動く標的』~これを読まずにハードボイルドは語れない③
僕が初めてロス・マクドナルドの作品を読んだのは、二十歳くらいだったと思います。
ハードボイルド小説が好きだという割には遅かったのですが、それには理由があります。
実はお恥ずかしい話、当時の僕は、ロス・マクドナルドをジョン・D・マクドナルド(※)という別の作家さんと混同していました。
今となってはなぜそんな勘違いをしていたのかわからないのですが、それに気づいてからようやく読み始めました。
『動く標的』を読んでみた感想としては、作品の完成度が高い(上から目線)というものでした。
その魅力を以下、述べていきます。
※ジョン・D・マクドナルドはトラヴィス・マッギー・シリーズで有名なアメリカの推理作家、SF作家です。
ロス・マクドナルドはこの人と混同されるのを避けて、ジョン・マクドナルドという筆名から変えたという経緯があります。
ですから、僕が当時、混同したのも故なくしてではなかったのです。(言い訳)
目次
ロス・マクドナルドとは
出典:http://spenth.blog111.fc2.com/blog-entry-280.html
1915年、カリフォルニア州サンフランシスコ郊外のロス・ガトスで生まれました。
本名は、ケネス・ミラーといいます。
日本ではハードボイルドの御三家(残る二人はダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー)として、名が知られています。
ロス・マクドナルドは、ハメットやチャンドラーから、少し遅れてデビューしています。
また、ハメットの『マルタの鷹』を読んで衝撃を受けて作家を志し、初期はチャンドラーの影響をかなり大きく受けていたこともあって、同列に並べるには(個人的には)やや違和感があります。
とはいえ、その諸作品の完成度はかなり高く、中期以降は独自のスタイルを築き上げたという点で、ハードボイルド小説という一ジャンルの完成に大きく貢献したことは間違いありません。
ついでに言うと、日本では「ロスマク」と省略されて呼ばれることがあります。
(僕は個人的にこういう省略が好きではないので、呼ばないのですが。どうでもいいですけど、笑)
動く標的とは
私立探偵、リュー・アーチャーが活躍する長編小説です。
1949年に発表された、ロス・マクドナルド自身5作目の長編小説であり、出世作となった人気シリーズの第一作です。
これ以降、ロス・マクドナルドは19作品もの長編作品(リュー・アーチャー・シリーズ)を継続的に発表しました。
その記念すべきリュー・アーチャーものの第一作が、この『動く標的』です。
原題は、『The Moving Target』なので、直訳した形ですね。
※リュー・アーチャーが長編に登場したのは、この『動く標的』が初めてのことですが、それ以前、1946年発表の『女を探せ』(ケネス・ミラー名義)で短編に登場しています。
序盤のあらすじ(※ネタバレ注意)
ロスアンゼルスの私立探偵、リュー・アーチャーは、テキサスの石油王ラルフ・サンプソンの後妻である、イレイン・サンプソンから夫の捜索を依頼される。
ラルフ・サンプソンがロスアンゼルスの空港で突然、姿を消したというのだ。
調査を開始したアーチャーは、ラルフ・サンプソンの失踪に犯罪組織が関与しているのではないかと推測する。
そんなときイレイン夫人の元に、10万ドルを送金しろというラルフ本人の筆跡による手紙が届く。
これは、実質的に身代金の支払いを求める脅迫状だとアーチャーは判断する。
更に調査を進めていくと、ラルフ・サンプソンの周囲に犯罪組織の関与を示唆する事実が見つかり、事件はより複雑化していく。
動く標的の魅力
ハメットやチャンドラーによって作られたハードボイルド小説というジャンルの正統な担い手というのが、ロス・マクドナルドに与えられた称号です。
ロス・マクドナルドの登場により、ハードボイルド小説が完成に至ったと言っても過言ではないと思います。
それほどまでに完成度の高い作品を作り続けたのが、彼であり、『動く標的』はその一連の作品群の嚆矢となったものです。
印象的なセリフ
「わたしの仕事は離婚事件がほとんどです。いわば、犬も食わない事件を食いものにする山犬ですね」
「……わたしの仕事の大部分は、人間を観察し、判断することだ」
僕が『動く標的』を好きな理由
主に、二つあります。
プロットが素晴らしい
プロットと言われてもピンとこない方のために、簡単に説明すると、物語の構成(設計図のことを呼ぶときも)のことです。
ロス・マクドナルドの一連の作品はここが優れています。
直線的なプロットではなく、作り込まれたものになっている上、しっかりと謎解きをしてくれるので、読者も心地良く読めるものになっています。
他の作家によって今現在に至るまでに発表された作品と比べると、見劣りがするかもしれません。
ですが、それは技術が更新され続けただけであり、その点を持って優劣をつけるのはフェアなやり方とは言えないでしょう。
アクションシーンも達者
レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウものが好きな僕としては、やはりある程度のアクションシーンを求めてしまいます。
そのせいで、チャンドラーの影響が濃いと言われることもあるようですが、個人的に良かった点として挙げておきます。
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ロス・マクドナルドの作品が好きな理由
こちらも主に二つあります。
人間の内面へ向かう透徹した視点
上でアクションシーンについて述べましたが、『動く標的』以降のリュー・アーチャーものでは、徐々にそれが減っていきます。
というのも、リュー・アーチャーが、より人間の内面に目を向けようとし始めるからです。
ロス・マクドナルドの作品は、その点で他のハードボイルド作家の作品と一線を画しています。
味わい深さがあるとでも言うべきでしょうか。
ですので、この『動く標的』を読んで、面白いと思った方は、是非とも後に続く作品を読んでみてください。
次第にリュー・アーチャーという探偵の存在感がなくなり、彼の目を通して(当時の)アメリカ社会を見ることができるようになります。
作品への没入感という意味で、癖になること請け合いです。
内面へ向かうから暗く、重い
上で紹介した通り、リュー・アーチャー・シリーズは徐々に人間の内面へと目を向けていきます。
これは読む人を選ぶ点なのですが、人間理解に興味がある僕としては、とても気に入っています。
ただのハードボイルド作品ではなく、どこか純文学作品のような趣を感じることができると思います。
しかし、そのせいで、派手なエンターテイメント性は影を潜めることになり、一般ウケは悪くなったのかもしれません。
修業時代、純文学作品に多く触れてきた僕としては、個人的にとても好きな点なのですが。
動く標的を読むにあたっての注意点
これはハードボイルドの名作を紹介するときに、いつも言っていることですが、トリックや複雑な謎解きを求めてはいけません。
ロス・マクドナルドが、いわゆる本格派推理小説好きの間でも評価されたのは、しっかりとしたプロットの作り込みがあったからです。
しかし、その後、更新され続けてきた小説技術をふんだんに盛り込んだ最近のミステリー小説と比べると、技術的な面では劣ります。
これは仕方がないことです。
ロス・マクドナルドのような一流の書き手が切り開いてきた道筋を、後進の作家たちは苦もなくたどれるわけですから、それよりも良いものを書けるのは本来、当然のことなんですが。
【コラム】リュー・アーチャーなのかリュウ・アーチャーなのか
出典:http://blogs.yahoo.co.jp/wakanatshuchiya/12146251.html
結論から言うと、どちらでもいいと思います。
元々、このリュー・アーチャーという名前は、
- ダシール・ハメットのマルタの鷹に出てくる、マイルズ・アーチャーという登場人物
- 映画『ベン・ハー』の原作者であるリュウ・ウォレス
の二人からとったものだと言われています。
それを日本語読みするときに、カタカナを当て込んだのでややこしくなっているようですね。
そもそも、リュウ・ウォレスにしたって、日本ではルー・ウォレスと表記されるのが一般的ですし。
僕が本記事で、リュー・アーチャーを採用しているのは、手元にある1994年2月4日(32版)発行の創元推理文庫にそう記載されているからです。
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【コラム】村上春樹さんもリュー・アーチャーものが好きらしい
これは当然と言えば当然ですが、アメリカ文学に精通している村上春樹さんも、ロス・マクドナルドが好きなんだそうです。
僕はロス・マクドナルドのリュー・アーチャーものはみんな尻尾の先まで好きだ。ロス・マクドナルドの小説の美点は、そのシャイさとまじめさの中にある。もちろん欠点もその中にある。でもそんな何もかもひっくるめて、僕はロス・マクドナルドの小説が好きである。
『象工場のハッピーエンド』:村上春樹
僕はこれを読んだとき、「やっぱ、そうですよね、村上さん」と言いたくなりました。
※どの目線で言っているのか、何様だという批判は甘受します。(笑)
ロス・マクドナルドの作品
これまで紙幅を使って紹介した『動く標的』と、その後のリュー・アーチャー・シリーズの中でも有名なものを紹介しています。
特に、『さむけ』はロス・マクドナルドの最高傑作と言っても過言ではありません。
必読です。
ロス・マクドナルドの映像作品
最後に
しっかりとしたプロットと人間理解の深さが個人的にとても気に入っている作品群です。
文学好きにも、本格ミステリー小説好きにも読んでもらいたいですね。
是非、お手にとってください。
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