【書介】これを読まずにハードボイルドは語れない① ~レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』
どんな分野にも押さえておくべき人(作者)がいる。
ロックンロールの歴史を語るのにエルヴィス・プレスリーやビル・ヘイリーに触れないのはおかしいし、コメディ映画を語るのに、チャールズ・チャップリンやバスター・キートンに触れないのは違和感がある。
もっとわかりやすく言うと、日本におけるプロレスを語るのに、力道山やアントニオ猪木、ジャイアント馬場は外せないし、日本のプロ野球を語るのに王、長嶋を語らないわけにはいかない。
(あまり知られていないが、長嶋以前はプロより大学野球の方が人気があった)
今回、紹介するレイモンド・チャンドラーは、ハードボイルド小説における、そういう存在だ。
彼に触れずにハードボイルド小説を語る人がいたら、完全にモグリだと思ってもらっていい。
目次
レイモンド・チャンドラーとは?
以前、この記事でレイモンド・チャンドラーがハードボイルド御三家の一人だと紹介した。
ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドがその御三家だ。
この中で、最もハードボイルド色が濃いのはダシール・ハメットだと僕は思う。(実際、ハードボイルド小説の元祖と知られているのはハメットだ)
理由は文体だ。
詳しくは省くが、短く表現すると『無駄がない引き締まった文体』と言いたい。
この小説が入門書としてオススメだ。(入門書というかハードボイルド小説の決定版なんだけど、笑)
【マルタの鷹】
レイモンド・チャンドラー自身はハメットのような小説を書こうと試み、実際にそうした。
そして試行錯誤の末、生まれた長編群は、本来の意味でのハードボイルド小説を超えていた。
チャンドラー自身が文筆家として卓越した技術を持っていたから、というのがその理由だ。
また、長編はどれを読んでも(直接的描写はせずとも)やや感傷的な面があるので、いわゆる『ゴリゴリの』ハードボイルドとは言えないと思う。
しかし、日本人にはそちらの方が合うようで、チャンドラーの知名度は高いし、ファンの数も圧倒的に多い。
(というより、ハメットを知っている人がとても少ない)
いわば、ハードボイルド小説かいにおける教祖的な存在の作家が、今回紹介するレイモンド・チャンドラーであり、彼の代表作の一つである『長いお別れ(ロンググッドバイ)』だ。
『ロング・グッドバイ』あらすじ
※多少のネタバレあり。未読でストーリーを知りたくない方は、スルーして次の項へお進みください。
ある晩、ダイニングバーの外で、ディナージャケットを着こんだ酔っぱらいに出会った私立探偵のフィリップマーロウ。
酔いつぶれていたにもかかわらず、やけに礼儀正しい酔っぱらいのどこかに惹かれ、マーロウは彼を介抱する。
まだそれほどの年齢でもないのに、男の髪の毛は真っ白で、右頬には整形手術をしたような痕が残っていた。
男はテリー・レノックスと名乗った。
次にテリーと会ったとき、彼はホームレス同然の姿だった。
マーロウは、警官に連れて行かれそうになっていた彼を、救い出した。
三度目の出会いはマーロウのオフィスだった。
以降、数度にわたり、二人で酒を酌み交わすことになる。
それから半年以上経った日の朝五時、急に自宅を訪ねてきたテリーの手には拳銃が握られていた。
「ティファナまで君に、車で送ってもらいたい」(※ティファナはアメリカとメキシコの国境にある街)
マーロウは彼が何らかの犯罪行為に関係した(もしくは巻き込まれた)と考え、従犯(逃亡幇助)の罪に問われないよう何も聞かなかった。
テリーを送ってロサンゼルスに戻って来たマーロウを待っていたのは二人の刑事だった。
「レノックスの細君が殺された」
そう告げられ、何か知っていることはないかと尋ねられたマーロウは、
「今ここで君らの質問に答える義務はないはずだ」
と返事をする。
そう答えたことで連行され、尋問にかけられることになったが、三日目の夜、突然釈放となった。
テリー・レノックスがメキシコで、殺人を自供した手紙を残して自殺したからだ。
世間的にはそこで事件の幕は閉じた。
しかし、マーロウを巻き込む別の流れが、彼の周囲で巻き起こることになる……。
印象的なセリフ
『さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ』
『警官にさよならを言う方法はまだ見つかっていない』
チャンドラー作品を読むべき方
・ハードボイルドな雰囲気が好きだという素敵な方
・『ぶれない』男が好きな素晴らしい方
・寄り道を楽しめる余裕のある大人な方
・アメリカ文学の一種だと考えるべきハードボイルド小説の源流を知りたい勉強家
・『ゴルゴ13』のファン
チャンドラー作品を読むべきでない人
・ミステリー小説は『謎解き』が全てで、それのみが作品の評価につながると考える人
・殺人事件があって、その『謎解き』のみが作品の大筋であるべきだと考える人
・作者の誘導によって『謎解き』ができているにもかかわらず、それをさも自分の手柄のように言い、『伏線の張り方が悪いよね~』とか言っちゃう人
・とにかく『トリック』を考えることや、『犯人は誰だ』を考えることだけに血道を上げる人
・いわゆる『伏線の回収』にやたらとこだわり、作品全体の流れを楽しめない人
・『確固たる』ミステリー小説観をお持ちで、その範疇に入らないものを決して認めない人
※あくまで、チャンドラー作品に合わないと思う人です。そういう読み方を否定するものではありません。
※ミステリー小説の本来の定義は、『不思議なことが起こる小説』なので、怪奇小説や幻想小説、ホラー、SFも入ります。
チャンドラー作品、ここがポイント
・主人公マーロウの目を通して描かれる世界観、雰囲気
・登場人物を含めた人間に対する深い理解と洞察
『ロング・グッドバイ』と『長いお別れ』は違うのか?
結論を言うと同じものだ。
原書は『The Long Goodbye』。
清水俊二氏訳のものが、『長いお別れ』で、村上春樹氏訳のものが『ロング・グッドバイ』。
ただし、清水俊二氏が翻訳したものは原文を大胆に省いた箇所があるので、より原書に忠実なものを読むのであれば、村上春樹氏が翻訳した『ロング・グッドバイ』を選んでほしい。
ロング・グッドバイを読むにあたっての注意点
一つ注意しておいてほしいことがある。
繰り返しになるが、チャンドラーの作品を読むときに、いわゆる『謎解き』だけを期待してはいけないということだ。
以下の記事で既に述べた通り、ハードボイルド小説はミステリーの一分野だ。
だから、チャンドラーの小説にもしっかりと謎が提示され、それを解決するという骨子は存在する。
しかし、それのみを目当てに読むと肩すかしを食らうかもしれない。
(ロンググッドバイにおける『謎の提示』と『その解決』に問題があるというわけではない)
これは決して、チャンドラーの技術が悪いと言っているのではない。
技術というものは基本的に更新されていくものだ。
ロンググッドバイが発表されて60年以上経ち、その間にも優れた作家が数多く登場した。
その彼らによってミステリー小説の技術は格段に上がっている。
だから、現代を基準にして、技術の話を云々するのは野暮というものだと言いたいのだ。
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チャンドラーの執筆方法について
どうやらチャンドラーは、『書くべきタイミングのときに然るべきものを書く』というタイプの作家だったらしい。
このタイプの作家は、長編小説を一気に仕上げることがなかなかない。
というより、できない。
これは作家のタイプの話なので、このことを持って作家に優劣をつけるのは間違いだ。
また、チャンドラーは短編をいくつか書き、それらを組み合わせて長編を執筆するという創作方法をとっていた。
というより、長編の原案となるべき短編を書き上げ、それらを練り上げていくというべきだろうか。
この創作方法は、とにかく時間がかかるのが難点だ。
ここからしばし余談
僕も実作者として、この方法(短編を組み合わせて長編にする)を試みたことがあるんだけど、正直難しい。
入り組んだ話でも、最初からしっかりとした設計をしておけば問題なく書ける。
だけど、既にできあがった複数の話を練り上げるようにして一つの話にするのは、結構な労力と時間が必要となる。
ちなみに、今、僕自身はしっかりとした設計書を作ってから小説を書いている。
そうしなくても(多分)書けるんだけど、途中で嫌にならないためにそうしている。
話の整合性がとれなくなると、書くのが嫌になってしまい、余計に時間がかかるからだ。
(腕が未熟なんだろ、というツッコミは甘受します)
この設計書を作るという方法の難点は、書いている最中にひらめいた考え(いわゆるインスピレーション)を生かしにくいというところだ。
なんせ話の筋が決まっているので、インスピレーション通りにやっていると整合性がとりにくくなる。
とはいえ、結果的にそちらの方が面白くなりそうだと判断したら、やらざるを得ないんだけど。
(余談が過ぎました。すみません)
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チャンドラーの長編作品紹介
・ 大いなる眠り
・ さらば愛しき女よ(さよなら、愛しい人)
・ 高い窓
・ 湖中の女
・ かわいい女(リトル・シスター)
・ 長いお別れ(ロンググッドバイ)
・ プレイバック
・ プードル・スプリングス物語(ロバート・B・パーカーとの共著)
(※発表順)
全てフィリップ・マーロウもの。
これらの作品についても、機会があれば紹介したい。
チャンドラーに影響を受けた日本の作家
実際、どこからどこまでが影響を受けたという範囲に入るか難しい。
しかし、本人の過去の作品や発言から、少なくとも間違いないだろうという方々を挙げておく。(敬称略)
村上春樹
ロンググッドバイの邦訳者、村上春樹氏は『ロング・グッドバイ』と『カラマーゾフの兄弟』、『グレート・ギャツビー』の3つの作品を最も影響を受けた作品として挙げている。
村上春樹氏のファンなのに、この三作品を読んだことがない人はモグリである。(と煽ってみる)
チャンドラー作品も、『ロング・グッドバイ』、『さよなら愛しい人』、『リトル・シスター』、『大いなる眠り』、『高い窓』の五作品を翻訳している。
大藪春彦
好みとしてはハメットやミッキースピレーンのような派手なアクションがあるものらしいが、影響を受けた作品として『長いお別れ』を挙げていたらしい。
大沢在昌
中学2年生のときにチャンドラーを読み、ハードボイルド小説家になろうと決心。
原寮
フィリップ・マーロウが日本にいたら、こういう感じだということを誰よりも上手く描いている。
チャンドラーに影響を受けた海外の作家
かなり多くの作家が影響を受けているので絞りづらいが、僕個人が好きな作家さんを挙げておく。
マイクル・コナリー
マイクル・コナリーに関しては、語りたいことが山ほどあるが、紙幅の関係上、別記事に譲る。
一つだけ言えることは、マイクル・コナリーの作品はどれも面白いということだ。
ロバート・B・パーカー
言わずと知れた『世界一のチャンドラリアン』。
正統派のハードボイルドを引き継いだ作風が有名。
未完のまま終わったチャンドラーの『プードル・スプリングス物語』を完成させた。
イアン・フレミング
世界一有名なスパイ映画、『007』シリーズの原作者。
レイモンド・チャンドラーの作品群に心酔していたらしく、フィリップ・マーロウシリーズのようなものを書きたいと思って、『カジノ・ロワイヤル』を執筆した。
まとめ
ここまで紹介しておいて今更だけど、僕が今、チャンドラーの本を読んだことがなければ『大いなる眠り』から順番に読むと思う。
なぜなら『ロング・グッドバイ』は掛け値なしの最高傑作であり、これ以上はあり得ないからだ。
他の長編小説もとても良い作品なんだけど、残念ながら『ロンググッドバイ』ほどではない。
だから、それに至るまでにチャンドラーの一連の長編作品(の世界観)をある程度、味わってほしい。
まあ、それはこれをご覧の皆様が決めることなので、僕からはこれ以上何も言うことはない。
では、良い読書ライフを!!
See you~
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