ウェブ狼 第三十九話 ~確信~
「ちょっと、嘘でしょ?」
瞳の、悲鳴にも似た声が響いた。
「何がや、お嬢ちゃん」
ノブのだみ声が聞こえた。
「ほんとに先輩の手を…」
「そらそうや。『おいた』する悪い手は潰しとかんとな」
「そんな…」
瞳が絶句した。
ミソジは立ち上がろうとして、もがいた。
「おとなしゅうせんかい」
身体を押さえつけている男の拳が、背中を打った。
「ぐっ」
束の間、息ができなくなった。
自分の荒い呼吸を聞きながら、ミソジは尚ももがいた。
「放せ」
「この状況で『放せ』言われて放す奴がおるんかいな? 考えて言わんとあかんで」
頭上からノブの声が聞こえた。
「往生せいや」
ノブがバールを振りかぶった。
その気配が伝わって来た。
ミソジが叫びかけたときだった。
「なんや、おまえ?」
ノブが言った。
「やめんかい」
誰かの、低い声が聞こえた。
「邪魔するなら痛い目に合うで」
「痛い目っちゅうのは、あいつみたいになるってことか」
そう言った声に、ミソジは聞き覚えがあった。
顔を上げようとしたが、身体を押さえつけられているせいで、声の主の足元しか見えない。
その向こうに、人が倒れていた。
瞳を拘束していた若い男だった。
「放せや、コラ」
ノブが言った。
「この状況で『放せ』言われて放す奴がおるんか?」
「じゃかましいわ、コラ」
「威勢がええな。どこの組のモンや」
「あ? なんやて?」
ノブの声の調子が変わった。
先程よりも、いくぶん声量も下がった。
「俺の顔、知らんのか? 田舎の三下ヤクザならしゃあないか」
「誰が田舎の三下じゃ、コラ」
「この辺におって、俺の顔を知らんのがその理由や言うとんのじゃ」
「…あんた、何モンや」
ノブの声に警戒の色が感じられる。
「人にモノを訊ねるときは、自分からってのが礼儀だろうが、チンピラ」
一瞬、間があった。
「ふん」
ノブが鼻を鳴らした。
「おい、行くで。おまえら」
「え? いいんですか」
ミソジの手を押さえていた男が言った。
「ええ言うてるやろ。はよせえ」
「…はい」
その声と共に、身体にかかっていた圧力が消えた。
ミソジは立ち上がろうとして、地面に片膝をついた。
倒れたときに打ったのか、膝と顎に鈍い痛みがあった。
「大丈夫か」
大きな身体の男が、ミソジの腕をとって支えてくれた。
「小山」
「おまえは昔から相手の人数とか考えへんもんな。中学のとき、おまえ一人で隣りの中学の不良五人相手にしてボコられたん覚えてるか?」
小山が笑いながら言った。
「六人や、あのときは」
「似たようなもんや。そこから何も進歩してへん」
「放っとけ」
「この状況で『放っとけ』言われて、放っておく奴がどこにおんねん」
「気に入ったんか、それ」
「まあな」
小山が片頬だけで笑った。
「で、小山。どうしてここに?」
「杉から連絡があった」
「杉から?」
「街宣車を大破させてもうた。ほんで、おまえだけ大阪に戻って自分の車で杉を迎えに行く、と」
「そうか。あのハイエースはおまえのやったな、小山」
「で、トシ。おまえに電話したけど、出ぇへんかった」
「え?」
ジャケットの内ポケットからスマホを取り出して見た。
確かに小山から着信があった。
「タクシーの中で爆睡してたときやな」
「杉の事務所近辺の駐車場とだけしか聞いてなかったから、探すのにちょっと手間取った」
小山が頷いてから続ける。
「とりあえず行こうや、トシ」
「ああ」
ミソジはそう言ってから、瞳を見た。
少し離れたところに立っている瞳は、どことなく虚ろな表情をしていた。
「怖い目に遭わせて、すまん。怪我はないか?」
「え? あたしは大丈夫です。ただ…」
「ただ?」
「えっと、何だか現実感がなくって。ちょっと、ぼおっとしちゃいました」
瞳の笑みが、どことなく硬かった。
「ごめんな」
ミソジはもう一度言って、頭を下げた。
「いや、先輩。大丈夫ですよ、やめてください」
「ほんまにすまんかった。家まで送って行くから」
「え?」
「家まで送るから。明日、会社やろ?」
「先輩はどうするんです?」
「俺は帰られへん。明日は休むよ、会社」
「じゃあ、嫌です」
「なにが?」
「あたし、帰りません」
「おいおい」
「絶対に嫌!」
瞳が子どものように首を振った。
「あのなあ…」
「まあまあ、二人とも。一旦、車に乗ろうや」
小山が間に入った。
「ああ、そうやな」
ミソジは車のキーを出しながら、自分のマークⅡに向かって歩き始めた。
「そういや、小山とは初対面か」
ミソジは助手席の瞳に言った。
「あ、そうです。ご挨拶遅れてすみません。御堂筋先輩の会社の後輩で、新田瞳と申します」
瞳が身体を捻り、後部座席に向かって言った。
「ああ、どうも。こいつがお世話になってます」
小山が軽く頭を下げる。
「親族みたいな挨拶すなよ」
ミソジは苦笑して言った。
「で、現場はどこやねん?」
小山が言った。
「神戸の近くや」
そう言って、ミソジはエンジンをかけた。
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事故の現場へ戻るのに、1時間もかからなかった。
「遅ぇぞ」
縁石に座っていた杉が立ち上がった。
「ずっと待ってたんか」
「おまえが迎えを寄越すって言ってたからよ。まさか本人が戻って来るとは思ってなかった」
「俺以外に誰が来るねん?」
「小山っちのとこの社員とか」
「厚かましい奴やな」
「で、なんでこんなに遅いんだ?」
杉が悪びれることなく言った。
「色々あってな」
「何があった?」
「まあ、色々や」
ミソジは言葉を濁した。
「お嬢ちゃんも来たのか」
少し遅れて車から出てきた瞳を見て、杉が言った。
「ああ」
頑強に抵抗する瞳に、ミソジが折れた結果だった。
「ん? 街宣車は?」
小山が周囲を見渡して言った。
「邪魔になるからって、警察が手配した業者がレッカー車で搬送した。これが業者の連絡先」
杉が紙片を小山に手渡して続ける。
「すまねえな、小山っち。こいつのせいで事故って」
「なんで俺のせいなんや」
「自分のせいじゃないって言うのか?」
「あんた、俺に謝っただろ、事故の直後」
「知らんな」
「おい」
「いや、もちろん俺の不注意のせいでもある。すまん、小山っち」
杉がこちらを無視して、小山に頭を下げた。
「誰のせいかってのは、どうでもええわ。車は明日にでも社員に引き取りに来させる」
小山が言って続ける。
「ほんで、どないするんや、トシ。これから」
「そうだな。ひとまず大阪に帰って…」
「おい、俺は犯人の目星がついたぞ」
こちらの言葉を遮るようにして、杉が言った。
「いきなり何を言い出すねん」
「さっき色々と考えてたんだ。間違いない」
杉が目を輝かせている。
「あのなあ…」
「何だよ、犯人が誰だか聞きたくねえのか?」
「ひとまず聞いたるわ。誰なんや」
ミソジはため息をついて、口を開いた。
「弓森里奈だ!」
「里奈? 酒井美里の娘の?」
「そう、死んだ弓森由利子の息子、隆明の嫁だ」
【続く】
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