ウェブ狼 第三十六話 ~誤謬~
陽が傾き、街全体に色が付きつつあった。
ミソジが助手席に乗る街宣車は、坂の上から神戸の街並みへ向けて進んでいた。
「そんなもんないと言われたらどうするつもりやったんや」
「何の話だ?」
「東京支社の話や。弓森食品の」
「知らねぇよ。あるんじゃねぇか」
杉がそう言って、窓を閉めながら続ける。
「真面目な話をすると、だな。警備員のおっさんは支社がどこにあるか知らねえだろうと思ったからだ」
「知ってたら?」
「言いようはある。『東京なんて言ってません』と言い張るとか」
「なんじゃ、そりゃ」
「問題はそこじゃねえからな。そこにフォーカスさせないのが大事なんだ」
「方法論はどうでもええわ」
「聞いてきたのはおまえの方だろ」
杉がそう言って、時計に目をやった。
「にしても、まだ早ぇな」
「開店時間は何時やったっけ?」
「7時だ」
「クラブにしては早いな」
「それまで、飯でも食うか」
「いや、俺は寝る。昨夜から一睡もしてへんねん」
ミソジはシートを倒して、目を閉じた。
神経が興奮しているからか、なかなか眠りにつけなかった。
うつらうつらした頃、車が停まったのがわかった。
ドアを閉める音がして、杉が出て行った。
ようやく眠りに落ちそうな気配がしてきたときだった。
内ポケットが振動した。
舌打ちをして、スマホを取り出す。
液晶画面に、瞳の名前が出ていた。
『先輩、今、どこにいるんですか?』
「神戸」
ミソジは短く答えた。
『神戸?』
「ちょっと訳ありでな」
『こっちは大変だったんですからね。あたしと大山さんは警察に話を聞かれて』
「すまん」
『ついさっきですよ。警察の人たちが帰ったの』
「タイゾウは?」
『いますよ、替わりましょうか?』
「いや、無事ならええねん」
『じゃあ、行きますね、そっちに』
瞳が言った。
「なんで、そうなんねん」
ミソジは身体を起こしながら言った。
『パートナーでしょ? 当然じゃないですか』
「そや言うても、やな」
『ダメですか?』
「この後、大阪に帰ると思うし」
『すぐに、ですか?』
「まだわからへん。大阪に帰ったら連絡する」
『あてにならないですよ。先輩のそれ』
「いや、絶対する。間違いなく」
『絶対、ですよ』
「わかった。ほな、また」
ミソジはそれだけ言って、電話を切った。
通りに面した狭い入り口だった。
ミソジは、杉の後に続いて、階段を地下に降りた。
照明がなく、暗い。
カビ臭い空気がまとわりついてきた。
階段を降りきる。
金属製のドアの向こうから、重低音の音楽が聞こえてきた。
杉がドアを引いて開ける。
Avicii の『Wake Me Up』 が聞こえてきた。
音楽と、酒の臭い、人いきれ。
ないまぜになった重い空気が、身体にまとわりついてくる。
受付で身分を確認され、2,000円の入場料を払う。
メインフロアには、20代前半と思しき若者たちがいた。
それも数人ではなく、十人以上がフロアで体を動かしている。
「まだ早い時間帯なのにな」
「あ?」
音楽で聞こえなかったのか、杉が顔を歪めて振り返った。
「ここにいてんのか?」
「工場長が言うには、な。弓森食品の」
杉が怒鳴るように言った。
ミソジはバーカウンターに目をやった。
4人の男女が酒やタバコを片手に談笑している。
杉がそちらに近づいて行く。
「なあ、君たち」
杉が大声で話しかけた。
「なに?」
手前にいた体格の良い男が振り返り、警戒の目を向けてきた。
「警察じゃねえ」
杉が機先を制するように言った。
「やとしたら、何者なん、あんたら」
「何者かはどうでもいい。人を探してる」
「それこそ警察に行かはったら?」
「できねえ事情がある。だからわざわざ来てる」
「誰を探してるって?」
男が肩をすくめて言った。
視線は杉から離していない。
「弓森栄治って男だ」
「へえ」
「知ってるか?」
「名字は知らへん。でも、エイジって人ならあそこに」
ミソジは振り返って、男が指差した方を見た。
痩せた背の高い男がそこにいた。
VIPルームらしきところから出てきたところだった。
杉が動いた。
男に駆け寄る。
「おい!」
杉が男の襟をつかんだ。
「うわ、なんや!」
男が、怯えたような表情を見せた。
「なんや、あんた」
「何でもいい。来い」
腕を引っ張り、有無を言わさぬ調子で、外へ連れて行く。
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杉が男を路地に連れ込んだ。
「弓森栄治、だな?」
「なんや、あんた。警察か?」
男が目を見開いて、言った。
弓森栄治は、パーマをかけた中途半端な長さの髪の毛、背が高く痩せぎすの身体が特徴的だった。
「刑事に見えるか?」
「って、ことは違うんか」
「警察じゃねえ」
「ほな、あんたらは…」
警察ではないと知り、栄治の顔に少し余裕が生まれた。
しかし、依然として、その顔には警戒の色が浮かんでいる。
「どこかの組の?」
「組関係でもねえ」
「なんや。ほな、何の用やねん」
栄治があからさまに態度を変えた。
「おい、俺のこと覚えてねぇか」
杉が言った。
「いや、知らんがな。自分をどれほど大物や思うてんねん」
栄治が言下に否定した。
ミソジは思わず吹き出した。
杉ににらまれ、素知らぬ顔をする。
「まあ、そんなことどうでもいいけどよ」
男に向き直って、杉が言った。
「で、何の用?」
栄治が気怠そうに、杉を見下ろして言った。
「由利子さんを殺したの、あんただな」
杉が切り出した。
「あ、思い出したで、あんた。あの、いかがわしいコンサルタント」
「思い出してもらって光栄ですな、栄治さん」
「俺がおかんを殺したか、やって? けったいなことを言うな。あんたやろ」
「俺が? バカなことを言うな」
「警察がその線で動いてるって話、聞いてるわ」
「動機がねえ。なんで俺がそんなことする必要があるんだ?」
「知るか、そんなん。うちのおかんに取り入って、散財させよってからに」
「何の話だ」
「あの、妙な名前の喫茶店のことや」
「あの店は控えめに見てもトントンくらいの収益だ。もう少し続けていれば、間違いなく大幅な黒字になってた」
「どうだか」
「税理士に確認しろよ」
「ふん」
栄治が鼻を鳴らして、横を向いた。
「あんたが継げばいいんじゃないか、栄治さんよ」
杉が口の端を持ち上げて言った。
「誰が、あんな…」
「左遷されて、支社とは名ばかりの工場にいるよりはいいと思うけど」
「放っとけ。俺はここで気楽にやってる方が性に合ってる」
「そうかね? 俺にはガキが拗ねてるようにしか見えねえけど」
「あ?」
栄治が一歩踏み出して、杉を上から見下ろす。
束の間、にらみ合った。
「ふん」
栄治が地面に唾を吐いた。
「ま、与太話はこれくらいにしておいて、本題に戻りましょうか」
「本題って何や」
立ち去ろうとしていた栄治が立ち止まった。
「由利子さんの件だ」
「俺が母親を殺す理由がどこにあんねん」
「それはあんたにしかわからん」
「アホなこと言うな」
栄治が、再び唾を吐いて続ける。
「警察にも聞かれたけど、おかんが殺された時間、俺は神戸におったわ。ワープでもできんと無理な話や」
「それはほんまの話ですか」
ミソジは話に割り込んだ。
「誰や、あんた」
「こいつが誰かはどうでもいいことだ。本当の話なんだな、それ」
杉が言った。
「嘘言うたところで、調べたらわかることや」
「本当なんだろうな」
「しつこいで」
栄治がまた唾を吐いて、その場を離れた。
「ミソジ」
杉が小声で言った。
「なんや」
「あいつを見張っといてくれ」
「クラブの中で、か?」
「入り口は一つだろ?」
「わかった。で、あんたは?」
「電話」
杉がスマホを取り出しながら言った。
ミソジはクラブの入り口が見えるところに、一人佇んでいた。
手持ち無沙汰になり、内ポケットに手を入れかけて、やめた。
煙草はそこにない。
息子が生まれたと同時にやめたのだ。
代わりに、空を仰いだ。
神戸の空は大阪と同じく、星がほとんど見えなかった。
しばらく待っていると、路地の入り口に杉の姿が現れた。
こちらに手招きしている。
「なんや?」
ミソジは歩み寄って言った。
「裏がとれた」
「なんの?」
「栄治が言ってたことだ」
「どこに電話してたんや?」
「どこでもいいだろ」
杉がぶっきらぼうに言った。
「ほな、あんたの推理とやらは外れたわけや」
「帰るぞ」
「なんのために来たんや、神戸くんだりまで」
「うるせえよ」
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