【私見】ハードボイルド論とオススメの小説 ~ハードボイルドとは?~【書介】
エンターテイメント系の小説を書く人間にとって、ハードボイルド(小説)の手法は避けては通れない道だと個人的には思っている。
何を隠そう、この僕、いや『杉成就』という作家はハードボイルド小説の影響を色濃く受けている。
というわけで、ハードボイルドについて大上段から語ってみせる。
偉そうな物言いの文章が嫌いな方は、当ブログの別の記事をご覧あれ。
この記事なんかオススメだ。
「書介って何やねん」という方は、こちらをどうぞ。
「歴史的経緯とか細かい話は嫌いや」という方は、この真下にある目次から『おすすめ作品』だけをご覧あれ。
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では、ハードボイルドの世界をご覧いただこう。
目次
ハードボイルドとは?
いきなり結論から書く。
ハードボイルドとは『生き方』のことだ。
誤解を恐れず言えば、『自分の信念を決して曲げず、それを踏みにじろうとするもの(人であれ組織であれ)に対しては断固戦う』という生き方のことだ。
そして、それに加えて、『他人を深く思いやる』ことのできる人間性も必要になる。
この二つのうち、どちらが欠けてもハードボイルドたり得ない。
それを端的に表した言葉がある。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」(※)
よく取り上げられるので、どこかで聞いたことがあるかもしれない。
レイモンド・チャンドラーという作家が創造したフィリップ・マーロウという、世界で最も有名なハードボイルド主人公が放った言葉だ。
フィリップ・マーロウは良くも悪くも、後に与える影響が大きかったキャラクターだ。
彼があまりにカッコ良すぎたせいで、フォロワーを数多く生み、更にパロディー化された。
その過程で、ハードボイルドと言えば、私立探偵、トレンチコートにハット、煙草、バーボンというようなイメージさえ出来上がった。
しかし、それは全く本質を捉えていない。
ハードボイルドとは生き方のことだから、軟弱な男が恰好だけ真似したところで、ハードボイルドにはならないのだ。
※原文は
“If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.”
なので、正式な訳は違うかもしれないが、ここでは一旦、措く。
『ハードボイルド』=固茹で卵だけど
ハードボイルドの語源ということに焦点を当てて、こう紹介されることが多い。
これは実際にその通りだ。
しかし、もう一歩踏み込んだ説明をしたい。
玉子をかき混ぜることを英語で『beat』(ビート)という。
そして、この『beat』には、殴るという意味もある。
一説によると、昔の米軍の新兵訓練所で、教官が新兵を理不尽に殴っていたらしい。(今は法整備がしっかりしていてそんなことはできない)
しかし、いくら殴られても新兵が教官を殴り返すことはできない。そんなことをしたら大変なことになるのは想像に難くない。
このことから、殴ること(beat)ができない男を、かき混ぜられない固ゆで卵(白身と黄身が一緒にならない)ことにかけて、ハードボイルド・ガイと呼んでいたそうだ。
そこから転じて、『強い男』『くえない男』という意味になり、更に意味が変化し、『自分の生き方や主義主張を貫く男』となった。
小説におけるハードボイルドとは?
小説におけるハードボイルドとは『生き方としてのハードボイルド』とは別モノだ。
まずは、Wikipediaに書かれている説明をご覧いただく。
ハードボイルド(英語:hardboiled)は、感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す言葉である。
文芸用語としては、暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいい、アーネスト・ヘミングウェイの作風などを指す。
また、ミステリの分野のうち、従来あった思索型の探偵に対して、行動的でハードボイルドな性格の探偵を登場させ、そういった探偵役の行動を描くことを主眼とした作風を表す用語として定着した。
2行目までは生き方としてのハードボイルドの話。3行目からが文体の話だ。
そう、実はあまり知られていないが、かの有名なノーベル文学賞受賞者、ヘミングウェイの作風がハードボイルドなのだ。
具体的に、どこがハードボイルドかというと、文体だ。
一つの文章が短いことと、直接的な心理描写をせず、登場人物の行動によって説明をするというところがポイントだ。
もちろん、心理描写が全くないわけではないが、それは最低限に抑えられている。
『老人と海』なんかは短くてオススメだ。
※文学作品なので、派手な面白さをお望みの方にはオススメしない。
また、『日はまた昇る』や『武器よさらば』なども、個人的にはとても興味深く読んだ。
ハードボイルド小説はミステリーの一分野
ヘミングウェイらによって用いられたハードボイルド(という手法・文体)は、ミステリー小説に取り入れられることによって、ハードボイルド小説というミステリーの一分野となった。
それまでの、トリックを重視したミステリー小説(いわゆる「本格派」)とは一線を画し、主人公を動かすことによって様々なことが判明していくというスタイルだ。
以下、大雑把な年表。
1920年代 ~1930年代 アメリカで、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーによってハードボイルド小説が確立される
1940年代~1950年代 ロス・マクドナルド、ミッキー・スピレインなど数多くの作家を生み出した
1960年代 アメリカにおける社会問題(ベトナム戦争に端を発した)が複雑化し、主人公の行動による解決がしづらくなる
1970年代 社会問題をそのまま扱うのではなく、主人公の個人的問題を通して社会を描く作品が出てくる
1980年代 ハードボイルド小説というジャンルがなくなる
※ハメットとチャンドラーが私立探偵を主人公としたので、ハードボイルドの本流は私立探偵小説であるという流れになったが、それ以外にもハードボイルドの手法で書かれた犯罪小説がある。
最も有名なものはジェームズ・M・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1934年)だろう。
とはいえ、それらの作品がハードボイルド小説と呼ばれることはない。ないことはないが、そう見なされないことが多い。
今現在、ハードボイルド小説は存在しない
ハメットやチャンドラーの描く主人公は作品内で深く自省したり、自分の存在に対する疑問を抱くことはない。
彼らが活躍した当時は、『西部開拓精神を内に宿した主人公(多くの場合、私立探偵)がアメリカ社会の諸問題に対処していく物語』という図式が成り立っていた。
いつもクールで強い主人公のままであり、事件を通じて彼らが変わることはない。
確固とした自分があり、信念があるからだ。
その活躍ぶりは超人的であるとも言える。
(少し前までのアメコミのヒーローたちにも同じことが言えるのではないだろうか)
しかし、1960年代以降の作家はその時代性も相まって、超人的な主人公を描くことはできなかった。
ベトナム戦争の敗北により、アメリカ人の価値観、とりわけ正義感が揺らいだせいだと言える。
その時点で本来のハードボイルド小説は終わったとも言えるが、まだこの時期は個人の問題(アル中、肉体的欠陥、セクシャルマイノリティなど)を通して、社会的な問題を描くことができた。
(彼らの作品群をネオ・ハードボイルド派と呼ぶこともある。※日本での呼称)
その後、1980年代に東西冷戦が終焉し、強いアメリカが復権すると共に、ネオ・ハードボイルド派も姿を消すこととなり、ハードボイルド小説というジャンルはなくなった。
以降、私立探偵が登場する小説は、『プライベートアイ・ノベル(私立探偵小説)』と呼ばれていて、それはハードボイルドとは関係がなくなっている。
とはいえ、ハードボイルドの手法を用いた作品は数多く存在している。
ハードボイルド小説というジャンルがなくなったにもかかわらず、それっぽい作風であれば『ハードボイルド小説』と謳ってしまうために矛盾が生じている。
一般の人がハードボイルドというイメージを何となくしか捉えられないのは、こういうところにも理由があると思う。
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ハードボイルド作家とおすすめ作品
いわゆる古典ハードボイルド御三家(日本だけの呼称)が上から三人(ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルド)。
ダシール・ハメット『マルタの鷹』『血の収穫』
(下に挙げているロング・グッドバイは長いお別れと同じもの。ロング・グッドバイは村上春樹訳)
ロス・マクドナルド『動く標的』『別れの顔』
ミッキー・スピレイン『裁くのは俺だ』『さらば甘き口づけ』
マイクル・コリンズ『恐怖の掟』『黒い風に向かって歩け』
ロバート・B・パーカー『ゴッドウルフの行方』『約束の地』
ローレンス・ブロック『倒錯の舞踏』『泥棒は詩を口ずさむ』
マイクル・Z・リューイン『内なる敵』『夜勤刑事』
サラ・パレツキー『サマータイム・ブルース』『ブラック・リスト』
リチャード・スターク『悪党パーカー/襲撃』『悪党パーカー/地獄の分け前』
※キリがないので、一作家につき、二作品まで。それ以外は調べてください(笑)
※一部、私立探偵ものではないが、ハードボイルド小説を語る上で欠かせないという判断からおすすめ
※思い出したら付け加えます
※「あの作家、あの本が入ってへんやないか」という苦情は受け付けます
まとめ
長くなったのでまとめる。
1. ハードボイルドとは『生き方』のこと
2.ハードボイルドという小説技法がある
3. ハードボイルド小説はミステリーの一分野である
4. 現在、本当の意味でのハードボイルド小説は存在しない
5. よくある私立探偵ものの小説は『私立探偵小説』という分野になっている。
6. だが、ハードボイルドの技法を用いた文体の小説はある
7. また、生き方がハードボイルドな登場人物が出てくる小説もある
よりわかりやすく言うと
・ハードボイルドとは『生き方』のこと
・心理描写を極端に少なくし、客観的描写にこだわるハードボイルドという小説技法(文体)がある
・狭義の『ハードボイルド小説』はミステリー要素を伴った私立探偵もの
ということだ。
『現在、ハードボイルドと呼べる小説はない』ということに驚いた方もいらっしゃるだろう。
とはいえ、それは『言葉の本当の意味での』という枕詞がつくので、あまり気にされることではないかもしれない。
しかし、歴史的経緯を知ることで過去の名作をとらえ直すことができ、皆様にとっての良き読書体験につながるのであれば、わざわざ論じた意味があるのではないかと思う。
まあ、「オモロければ何でもいい」と乱暴な言葉で片づけると身も蓋もないけど、それも本質じゃないだろうか。(笑)
日本におけるハードボイルド小説の状況はまた違うのだが、それはいずれ紹介したいと思う。
では、皆さんが良き本と共に、素敵な時間を過ごされることを願って。
以上、終わり。
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