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知らないとヤバい? 三国志から生まれたことわざ9選

 

三国志から生まれたことわざが、実は今現在でも頻繁に使われていることをご存知でしょうか?

その由来から有名なものもあれば、「え? それも?」と思ってしまうものもあります。

 

是非、チェックしてみてください。

ちょっとした話のネタにもなりますよ。

 

登竜門

登竜門】の意味

成功するには乗り越えなければならない関門。

 

【登竜門】の語源、背景

後漢末期、宦官と儒教派の官僚が争い、政治は乱れ、腐敗しきっていました。

 

そんな中、李膺(りよう)一人が政治をあるべき正しい姿に戻そうとしていました。

若い官僚にとってそんな李膺の知遇を得るのは名誉なことでした。

幸いにもそれができた人は、『竜門を登った』と称されました。

 

竜門とは黄河上流にある渓谷の名称です。

この辺は急流で大きな魚でも登ることが容易ではないと有名で、登り切った魚は竜になるという伝説があったところです。

そのことから、【登竜門】という名前がつけられたわけです。

 

ドラゴンの彫刻

By: T. Cowart

 

三顧の礼

三顧の礼】の意味

才能のある人を得るには、地位の高い人が自ら何度も足を運び、礼を尽くすこと

 

【三顧の礼】の語源、背景

劉備には武芸に優れた有名な二人の義弟、関羽雲長張飛益徳がいました。

しかし、彼らは戦略には優れていませんでした。

 

ある日、荊州(けいしゅう)の新野(しんや)にいた劉備の元を、徐庶という人物が訪ねて来ました。

劉備は彼を優れた人物として登用したのですが、徐庶は

「この土地に諸葛孔明という天才がいます。しかし、彼に会うにはこちらから出向かなければなりません」

と言いました。

 

折しも、司馬徽(しばき:水鏡先生)からも

「俗世間の中に竜となり、鳳となる人物が二人いる。そのどちらかを手に入れなさい」(伏竜、鳳雛

と言われていました。

 

劉備は早速、諸葛孔明を訊ねましたが、一度目、二度目ともに不在でした。

三度目の訪問時、ようやく孔明が在宅していることがわかりました。

しかし、孔明が昼寝をしていたので、劉備は彼が起きるまで待つことにしました。

 

このことにいたく感銘した孔明は劉備に臣従し、その生涯を蜀漢のために捧げます。

 

ちなみに、孔明は後年『出師表』(すいしのひょう)に、劉備が三度も自分の草庵を訪れたことに感激して臣下になったと書いています。

※出師の表・・・諸葛亮が主君の劉禅に奉った上奏文。(中略)
自分を登用してくれた先帝劉備に対する恩義を述べ、あわせて若き皇帝である劉禅を我が子のように諭し、自らの報恩の決意を述べた文である。
古来から名文中の名文とされており「諸葛孔明の出師の表を読みて涙を堕さざれば、その人、必ず不忠」(『箋解古文眞寶』の安子順の発言部分)と言われてきたほど、諸葛亮の蜀に対する忠義が如実に描写されていると言われてきた。

 

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水魚の交わり

水魚の交わり】の意味

君臣の親密な間柄。水と魚のように、お互いになくてはならない親密な関係

 

【水魚の交わり】の語源、背景

三顧の礼で諸葛孔明(諸葛亮孔明)を迎えることのできた劉備は、何事につけて孔明の判断を仰ぎました。

そのことを義弟の関羽と張飛はよく思いません。

 

そこで、二人は劉備にこう問いただします。

「孔明にどれほどの才能があるのでしょうか」と。

 

これに対して劉備は、

「私が孔明を得たのは、魚が水を得たようなものだ」

と答えます。

 

この答えに二人は納得し、以降、何も言わなくなったとのことです。

 

 

苦肉の策

苦肉の策】の意味

苦しまぎれに考え出された手段、方法

 

【苦肉の策】の語源、背景

208年赤壁の戦い()を前に呉の黄蓋は、大軍を率いて押し寄せた魏の曹操に対し、偽りの投降をします。

それを信じさせるために、黄蓋は前部大督(前線総司令)である周瑜の作戦に真っ向から反抗し、むち打ちの刑をあえて受けます。(横山三国志では杖百打の刑)

 

実はそのとき、蔡和蔡中(蔡仲)というスパイが呉軍内におり、このことを曹操に報告するだろうという目算が、黄蓋(と周瑜)にはありました。

この芝居を見抜かれないために、周瑜は本気で鞭を打たせます。

ある意味、苦し紛れともいえ、敵を欺くために自分の肉体を苦しめた謀略でした。

 

結果として、この策が功を奏し、投降を信じさせた黄蓋は曹操軍を大いに苦しめ、打ち破ることに成功します。

赤壁の戦い
208年、長江の赤壁において起こった曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦い。
荊州を攻略した曹操が、数十万と言われる大軍勢で呉の領土に押し寄せたものの、大敗北を喫した。

 

白眉

白眉】の意味

大勢のすぐれた者の中で、いちばん優秀で傑出した人物のこと。

 

【白眉】の語源、背景

家には五人の兄弟がいました。

皆、文武両道でしたが、中でも長兄(四男とも言われる)の馬良は特に優秀でした。

 

その馬良の眉毛に白い毛が混じっていたことから、優秀な人物を『白眉』と呼ぶようになりました。

ちなみに、馬良の弟に、次項で紹介する馬謖がいます。

 

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泣いて馬謖を斬る

泣いて馬謖を斬る】の意味

組織の規律や秩序を乱さないため、たとえ腹心の部下であっても私情を捨てて厳しく罰すること。

 

【泣いて馬謖を斬る】の語源、背景

諸葛孔明にとって、有能な参謀だった馬謖でしたが、有名な街亭の戦い)で孔明の軍律に反して大敗を喫しました。

多数の部下を死なせ、北伐(第一次北伐:魏への侵攻作戦)失敗の最大の原因を作ってしまった馬謖は、軍律に照らして処刑されることになります。

 

孔明としては、右腕として重用してきた馬謖を処断することは心情的にとてもつらかったのですが、ここで情けをかけることは軍全体の士気にかかわることです。

結局、馬謖(とその配下の将校、張休李盛)は処刑されます。

 

孔明は、馬謖の首がさらされると、

「お前を起用した私に罪がある」

と言い、慟哭したといいます。

街亭の戦い・・・中国の三国時代における、魏と蜀による街亭(甘粛省安定)での戦い。
228年、張郃(ちょうこう)率いる魏軍が、馬謖率いる蜀軍を破った。この戦いで破れた蜀軍は全軍撤退を余儀なくされ、第1次北伐は失敗に終わった。
この戦いで馬謖は、馬謖は副将王平の再三の諌めを聞かず、水路を捨てて山上に陣を構えたせいで、水を絶たれ、敗北した。

 

破竹の勢い

破竹の勢い】の意味

竹は初めの節が割れると、後は簡単に割れてしまうことから、勢いが激しく、止めようがない状態。

 

【破竹の勢い】の語源、背景

三国時代末期、蜀を亡ぼした魏でしたが、(西晋)()にとって代わられます。

 

280年、晋の武帝(司馬炎)は呉を攻めるために南下しますが、想定していた以上に手間取ります。

 

一時撤退という意見が大勢を占める中、大将である杜預(どよ)が

「現在、わが軍の士気は上がり、竹を割く勢いだ。ここで一気に攻めれば呉は滅びる」

と言って、作戦を続行し、実際に呉を攻略することに成功しました。

(西晋)・・・265年、司馬炎(司馬懿仲達の孫)が、魏の元帝から禅譲を受けて成立した王朝。
280年に呉を滅ぼしたことで、後漢滅亡以来、約100年ぶりに中国全土が統一された。

 

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十人十色

十人十色】の意味

十人いれば顔が皆、それぞれ違うように、人の心も皆、異なる

 

【十人十色】の語源、背景

ある日、蜀の蒋琬(しょうえん)()は、部下の楊戯を呼び出して、ある件について相談しました。

普段、快活な楊戯であったが、このときは返事がいつもと違い、はっきりしない様子でした。

 

楊戯を陥れようとした人物が、

「相談しているのにはっきりした返事をしないのは無礼ではないか」

と言います。

 

しかし、日頃から公正な判断をすることで有名な蒋エンは

「人の心は顔がそれぞれ違うのと同じく、皆異なるものだ。私の言葉にすぐ服従するのは本意ではない。とはいえ、反対すれば私の間違いを咎めることになる。楊戯はそう考えて何も言わなかったのだ」

と心中を慮ったそうです。

蒋琬・・・荊州領有時の劉備に仕官。諸葛亮が死去した後、今で言う国防長官に当たる大司馬にまで昇進した蜀漢の重要人物。
東晋の袁宏の「三国名臣序賛」においては、蜀の4名臣として諸葛亮・ホウ統・黄権と並んで取り上げられており、諸葛亮の後継者として高く評価されている。

 

洛陽の紙価を高める

洛陽の紙価を高める】の意味

書物がよく売れること。ベストセラー

 

【洛陽の紙価を高める】の語源、背景

左思(さし)という文才に優れた人物がいました。

 

左思は一年かけて、『斉都の賦』(せいとのふ)という詩を書きましたが、その後さらに『三都の賦』(魏のぎょう、蜀の成都、呉の建業)を書くことを思い立ちます。

その後、洛陽に引っ越したことを機に詩作に没頭し、十年の歳月を費やしてそれを完成させます。

 

発表した当初は反響がほとんどなかったのですが、張華という著名な詩人が激賞したことをきっかけに洛陽中に広がります。

当時は印刷技術がなかったので、高官や貴族たちは競って、この詩を書き写しました。

そのため写本用の紙の価格が上がりました

 

当時は紙が発明されて約200年経っていたそうですが、まだまだ貴重なものだったようです。

そのため、このようにベストセラーが出ると、価格が急上昇したんだそうです。

 

最後に一言

最後の【洛陽の紙価を高める】は馴染みのない方もいるかもしれません。

しかし、文芸を志した方でしたら、こういう状態を一度は夢見ているはずですよね。

というわけで、ごく私的な理由から入れてみました。(笑)

 

実は三国志から生まれたことわざはまだまだあります。

続きは、また別の機会に紹介します。

 

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