ウェブ狼 第二十六話 ~手がかり~
「菅田君。すまんが、いつものやつ一杯くれんか?」
神がカウンターに両肘をつき、顔の前で手を組み合わせた。
「はい」
菅田が背後の棚に並べているボトルから、一本を選び出す。
「君もやりますか? アードベッグの10年ものだが」
神がこちらに向かって言った。
菅田がそのボトルを見せてくれた。
「ありがとうございます。でも、車で来てますんで」
早く話を聞きたいという気持ちを抑えて、ミソジは神の隣りに座った。
菅田がグラスにウイスキーを注いだ。
白ワインにも似た淡い色だった。
「これに慣れると、他のウイスキーでは物足りなくてね」
一口飲んで、神が言った。
「そのまま飲まれるんですね。割ったり、氷を入れたりせずに」
「スコッチの『煙たさ』を味わいたいからね。ストレートが一番だよ」
神が自分の言葉に頷いてから、続けた。
「で、聞きたいことってのは何かな?」
「え?」
「君の顔に書いているよ。私に訊ねたいことがあるって」
少しだけこちらに顔を傾けて、神が言った。
「お見通しでしたか」
ミソジは苦笑した。
「あまり愉快な話じゃなさそうだね」
「ええ」
ミソジは頷いて続けた。
「杉成就という男のことです。ご存知ですか」
「知っているよ」
神が大きな手でリーデルのグラスをつかみ、口に運ぶ。
一連の動きがとても滑らかだった。
「彼と初めて会ったのは、十年ほど前だったかね。取材を受けたんだよ」
「取材、ですか」
「彼はそのときフリーライターという肩書だった。雑誌のインタビューだかなんだか、詳しいことは覚えていないが」
「フリーライターというのは本当だったんですね」
菅田を疑っていたわけではないが、自称に過ぎないかもしれないとミソジは考えていた。
「君が聞きたいのはそういうことかい?」
「えっと、そうですね」
ミソジは瞬間的に考えをまとめて言った。
「奴は、杉は個人的なことを話していませんでしたか」
「というと?」
「たとえば、どこに住んでいるとか、家族がいるとか、そういうことです」
「その前に一つ聞きたいんだが、ね」
神がこちらを向いて言った。
「それを聞いて、君は何をするんだい? 御堂筋君」
間違いなく、それを聞かれるだろうと思っていた。
「長くなるので要約して説明します」
そう前置きして、ミソジはこれまでの経緯を話した。
杉と自分は飲み友達であること。
彼が懇意にしていたクライアントが死んだこと。
そのせいで、彼が警察から重要参考人、もしくは容疑者として目されていること。
自分はクライアントの親族から、彼を捜してくれないかと頼まれているということ。
杉が持っているであろうカードキーを回収したら、弓森家から金をもらえるという部分については省いた。
話す必要がないと思ったからだ。
この話をするのは、今日だけで三度目だった。
微かな疲労を感じながらミソジは喋った。
「なるほど」
神が束の間、目を閉じた。
そうやっていると、顔に刻まれた深い皺が強調され、年齢相応の老人に見えた。
神が再び刮目し、ゆったりとした口調で言う。
「ところで、なぜ君が彼を捜す役目を負っているのかね? それは警察の仕事ではないのか」
「頼まれたからです。それに…」
「それに?」
「杉を捜し出して、どういうことなのか真相を確かめたいんです」
「それにしても、だ。その被害者の遺族が杉君を捜してくれと頼むのは異例なことだと思うが」
「私が杉と懇意にしていると思っているのでしょう」
「実際そうではなかった?」
「だとしたら、杉のことを知ろうとして、こんなところまで来ま…、いや、失礼しました」
ミソジは言葉を途中で切った。
「いや、いいんだよ。大体わかった」
神が頷いて、微かに目を細めた。
「つまり、君は手がかりを見つけにここへ来た。そういうわけだ」
「はい」
「だったら、すまんが、教えられることは多くない。僕はここ最近、彼と会っていないからね」
「でも、何かご存知なんですね」
「1年前だ」
神がウイスキーを飲み干し、左の人差し指を立てた。
「北新地のバーで会った。後でバーテンに聞いたが、そこへは頻繁に来ていたらしい。今はどうか知らんが」
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結局、『BAR SEO』でわかったのは、行きつけのバーだけだった。
だが、何も指針がないよりは遥かにマシだった。
じっとしていられない気持ちが強かった。
休みはあと一日、日曜日しかない。
無理を言って月曜日に有給をとるにしても、それ以上は休めない。
ミソジは駐車場の近くにあったコンビニで、煙草とコーヒーを買った。
妻が妊娠したときに煙草はやめた。
それ以来、吸っていない。
車に戻り、少し迷ってセブンスターの封を切った。
一本取り出して口にくわえ、100円ライターで火をともす。
煙を吸い込む。
重い衝撃が、身体の奥を打った。
盛大に咳き込んだ。
ようやく咳が治まり、もう一度、吸い込む。
紫煙を吐く頃には、頭がすっきりしているように感じられた。
エンジンをかけ、車を出した。
北新地、永楽町通り。
レジャービルの三階に、その店はあった。
グリーン・リヴァー
【会員制】
そう書いた札が貼ってあるドアの前で立ち止まる。
と、折よくドアが開いた。
中からベストを着用して、髪を後ろに撫でつけた四十がらみの男が出てきた。
大きな半透明のゴミ袋を持っている。
男が、ドアを閉め、こちらをさっと上から下まで見た。
「すみませんね。もう閉店なんですよ」
横柄にも思える口調だった。
「ちょっと聞きたいことがあって」
ミソジは言った。
「何ですか」
「杉という男を知りませんか」
「失礼ですが、あなたは?」
男が怪訝そうに顔を歪めた。
「御堂筋と言います。ある件で杉を捜してまして」
「申し訳ないですが、どこの誰ともわからない人にお客様のことをベラベラ喋れませんよ」
「知っているんですね?」
「心当たりがないことはないですね」
男がそう言い、手にしたゴミ袋を通路の床に置いた。
少し間があった。
何とも言えない時間が過ぎた。
ミソジは気づいて、札入れを出した。
一万円札を一枚抜き取り、握らせた。
手に視線を落とした男は、渋い表情のままだった。
ミソジはため息をつき、万札をもう一枚握らせた。
男が片頬を持ち上げて微笑み、それをベストのポケットにねじ込んだ。
「何が聞きたいんです?」
男が言った。
「個人的なことなら何でも。特にヤサが知りたい」
「難波に事務所を構えている」
「具体的には?」
「そこまでは知りませんわ。ただ、ミナミで飲んだときは結構な頻度で、その事務所に泊まるとか」
「ヤサは?」
「用心深い人でね。せやけど、市内であることは間違いないです」
かなり自信があるような口ぶりだった。
「なぜそれが?」
「たまたま聞こえた話の内容からですよ。お連れの方とタクシー代の話をしてはりましたから」
「なるほど。他には?」
「既婚、子なし。大阪に住んで十年と少し。そんなとこです。それ以上は知りませんよ」
「結婚してたんか、あの男」
少し意外に思った。
だが、そんなイメージがなかっただけで、年齢的には結婚していてもおかしくはなかった。
「ああ、それと…」
男が床に置いていたゴミ袋を手にした。
「何か思い出したことが?」
「一時間前までいましたよ、ここに」
男が、背後にある店を左手の親指で示した。
「杉が? なんでそれを先に言わへんねん」
「聞かれてへんからですわ」
男が肩をすくめた。
「くそっ」
ミソジは踵を返して、階段へ向かった。
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