ウェブ狼 第二十七話 ~黒い衝撃~
レジャービルの階段を駆け下りた。
勢い良く道へ飛び出し、走り出す。
途中、若い女を連れた中年男の肩にぶつかり、怒声を浴びた。
モータープール。
マークⅡを探すのに時間はかからなかった。
鍵を開け、乗り込む。
「で、どこへ?」
エンジンをかけようとして、気づいた。
杉が一時間前に、あのバーにいた。
だが、その後、どこへ向かったかわかるはずがなかった。
「くそっ」
ミソジは手の平をステアリングに叩きつけた。
クラクションが、間の抜けた音を出した。
唯一の手がかりは杉の事務所がある場所だった。
難波だ。
とはいえ、具体的な住所は知る由もない。
ミソジは車を発進させた。
とにかく今は動くことだ。
じっとしていても何も始まらない。
そう思った。
空が明るくなりつつあった。
時計を見ると、朝5時半を過ぎたところだった。
いつもは混雑している御堂筋でさえ、この時間は空いている。
青信号に変わったのを見て、車を発進させた。
大江橋に差し掛かる。
そのときだった。
バックミラーに黒い影が映った。
と思った刹那、衝撃が全身を打った。
視界がずれる。
一瞬、何が起こったかわからなかった。
再びの衝撃。
ようやく理解した。
バックミラーを覆った影は黒い車だった。
追突事故?
いや、そうじゃないかもしれない。
本能が告げていた。
心臓が早鐘を打つ。
ステアリングを握り直し、わずかにそれた車の進行方向を修正する。
一瞬迷って、離しかけたアクセルを踏んだ。
と同時に、車線を変更した。
バックミラーから黒い影が消える。
右側のサイドミラーを見た。
追突してきた車はハイエースだった。
そのハイエースが再び動き出す。
ミソジのマークⅡがいる車線に移って来た。
「なんなんや」
ミソジは独りごちた。
ハイエースは二度追突してきた。
しかも、まだこちらを追いかけようとしている。
そこには意図があった。
こちらを害しようという明確な意図が。
誰が、何のために?
疑問が頭の中をよぎる。
だが、考えている暇はない。
黒いハイエースが、また背後に迫っていた。
「くそっ」
ミソジはステアリングを操作し、元の車線に戻った。
ハイエースが左横に並ぶ。
アクセルを踏み込んだ。
淀屋橋を渡り切る。
交差点を過ぎると、左右に側道が現れ、車線が四つに減少した。
加速しながら、前を走る車を避ける。
バックミラーに映ったハイエースが車線を変更した。
加速し、左横に並んだ。
横目でそれを確認し、前方に視線を戻す。
信号が黄色から赤になろうとしていた。
「くっ」
ミソジはアクセルをブレーキに踏み替えた。
ステアリングを一気に右に切った。
横からの強い圧力。
身体が助手席側に倒れそうになる。
シートベルトの存在に初めて感謝した。
一方通行の道に入った。
ブレーキ音が耳朶を打つ。
ハイエースも無理矢理右折したらしい。
バックミラーに黒い車体が映った。
戦慄。
ミソジはアクセルを踏み込んだ。
マークⅡが猛スピードで進む。
人通りはなかった。
それだけが救いだった。
前方の四つ角。
左から勢い良く白いセダンが出てきた。
と思いきや、セダンがそこで停まり、道を塞いだ。
ミソジは反射的にブレーキを踏み込んだ。
首が振られ、頭がステアリングにぶつかりそうになる。
ミソジのマークⅡは、白いセダンの一メートルほど手前で停まっていた。
束の間、何も考えられなかった。
セダンのドアが開き、男が二人降りてきた。
どちらも嫌な雰囲気を漂わせている。
助手席から降りてきた若く体格の良い男が、セダンの前を回り込んでこちらに歩み寄ってくる。
男はバールを手にしていた。
それが何を意味しているのか、ミソジは理解した。
得物になるものを探す。
だが、車内には何もなかった。
バールを手にした若い男がマークⅡの横に立った。
車のドア一枚隔てただけの距離だ。
こちらを見下ろす男と目が合った。
知性の欠片も感じられない目だった。
男が片頬で笑った。
嫌な笑い方だった。
男がバールを振り上げた。
それを、振り下ろす。
窓に当たる瞬間、ミソジは顔を両腕でガードした。
何も起こらなかった。
両腕の隙間から確認する。
男は窓に当たるぎりぎりのところで、バールを止めていた。
複数の笑い声が辺りに響いた。
いつの間にか、外に四人の男たちがいた。
一人が黒いスーツに黒いシャツ、残りの三人が派手な色のジャージ姿だった。
「降りろ」
スーツを着た、四人の中で最も年嵩の男が大声で言った。
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ミソジは言われるままに車を降りた。
男たちが半円状になって、こちらを囲む。
年嵩のスーツの男が半歩進み出た。
四十半ばくらいに見えるその男は小柄で、髪を後ろに撫でつけている。
こずるそうな表情が癇に障った。
「あんたら何モンや。何の…」
ミソジの問いは途中で遮られた。
「御堂筋俊則。30歳。株式会社ロングテールマーケティングに勤務。家族は妻一人、子供一人。住所は大阪市…」
「ちょっと待ってくれ。俺が何をしたって言うんや」
ミソジは言った。
「残念ながら質問は受け付けてへんねや」
年嵩の男が言った。
「オジキ、とりあえずいわしときましょか、このボケ」
バールを持った若い男がにやつきながら言った。
「まあ、待て。いたぶるのはいつでもできる」
オジキと呼ばれた年嵩の男が、こちらから視線を逸らさずに言って続ける。
「この件から手を引け」
「どの件や」
「おい、カス。言葉の遣い方に気ぃつけんかい」
バールの男が言った。
ミソジは、自分の頭に血が上るのがわかった。
「オマエもな」
「なんやと、コラ」
バールの男が血相を変えた。
「待たんかい」
年嵩の男がそれを制して、こちらを向く。
「自分の立場がわかってへんみたいやな」
「わかるわけないやろ」
言った瞬間、拳が腹にめり込んだ。
「ぐっ」
息が止まりそうになった。
「オジキはプロボクサーやで、気ぃつけんとあかんで」
バールの男が嬉しそうに言った。
「ノブ。『元』ボクサーや」
オジキが言った。
バールの男はノブという名前らしい。
ミソジは腹を押さえながら、マークⅡの運転席側のドアにもたれた。
「俺は知っての通りサラリーマンや。あんたらみたいな筋モンに絡まれるいわれはない」
「リーマンはおとなししとったらええんじゃ」
ノブが言った。
「おまえこそおとなししとけや、チンピラ」
言葉が、口を突いて出た。
ノブが足を踏み出し、バールを振り上げた。
ミソジはそれを転がって避けた。
鈍い金属音が聞こえた。
次の瞬間、首筋を痛烈な痛みが襲った。
その後は何発蹴りを食らったかわからなかった。
側頭部にもらった一発で、意識が飛びかけた。
急所への打撃を避けようと、地面に這いつくばって丸くなるのが精一杯だった。
「もうええ。それくらいにしとけ」
その声で、執拗な蹴りが止まった。
髪をつかまれ、顔を上げさせられた。
「なあ、わかったか。余計な首は突っ込むなよ。次はこんなもんじゃすまんぞ」
オジキの声が耳元で聞こえた。
「楽しみにしとくわ」
朦朧とする意識の中、ミソジは言った。
「いきんなや、ガキ」
顔を、地面に叩き付けられた。
足音が遠ざかる。
笑い声が聞こえた気がした。
ミソジは顔を動かして、ハイエースの方を見た。
二人の男が乗り込んだ。
ミソジは、自分の意識が薄れていくのを感じた。
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