ウェブ狼 第二十二話 ~思いがけない依頼~
黒塗りのセンチュリー。
その後部座席にミソジは座っていた。
「今日、瞳さんは?」
隣りに座っている美里が言った。
「昼間は一緒でしたが、こっちに来ると夜遅くなりますから」
ミソジは短く答えた。
「あの子が簡単に言うこと聞いたとは思えへんけど」
「そうですね。説得しました」
「やっぱり」
美里が笑った。
ミソジはスモークガラス越しに外を見た。
雨が降る中、車は夜の府道九号線を西へ向けて走っていた。
「弓森さんのお宅は近いんですか?」
ミソジは言った。
「近いわよね、ハリー?」
「はい、奥様。あと十五分かからずに着くと思います」
運転席でハンドルを握るアンディが答えた。
「そういうことやわ」
そう言い、美里がこちらへ顔を向けた。
車が交差点に差し掛かり、ゆっくりと左折した。
「弓森由利子さんとはお付き合い長かったんですか」
ミソジは言った。
「せやね。学生時代からの付き合いやから、かれこれ40年以上」
「そんなに長い付き合いなのに仲が悪かったんですね」
「あら、随分と突っ込んだこと聞くやん」
「すみません」
「別にええんよ」
美里が外に顔を向け、続ける。
「仲悪かったっていうか、嫌われてたっていう方が近いかもね。ま、主にあたしのせいやねんけど」
「はぁ」
「過去に色々あってね。いうても昔のことやから原因どうこうというより、仲悪いのが普通の状態になってたというか」
美里がそう言ってから、口をつぐんだ。
それ以上の会話をする気がないように、窓にもたれた。
「別に死なんでもよかったのに」
独り言のように、美里が言った。
大きな邸宅ばかりが建ち並ぶ一角に、弓森家はあった。
アンディが運転するセンチュリーは、二人を降ろすと走り去った。
弓森家は狭い道路に面しているため、大きな車を駐車する場所がなかった。
美里と共に車を降りたミソジは、提灯が飾られた門を入った。
前庭の奥に、大きな日本家屋が見えた。
「あ、美里さん」
甲高い声が聞こえた方を見る。
門を抜けたところに設置された受付所から、黒いジャケットと半ズボンを履いた少年が走って来た。
「あら、祐ちゃん」
美里がしゃがんで、走って来た少年を抱き止めた。
「あんな、美里さん。『ばあば』がおれへんようになってん。そんでな、僕、ママのお手伝いをしてんねん」
「そうかあ。祐ちゃん、偉いなあ」
美里が少年の頭を撫でた。
「ママ。ほら、僕、やっぱり偉いねんて」
少年が受付を振り返って言った。
「祐介、大きな声出したらあかん。戻ってきなさい」
ややきつい口調でそう言ったのは、弓森里奈だった。
酒井美里がオーナーで、彼女が店長を務めるカフェで会って以来だった。
祐介と呼ばれた少年が慌てた様子で、受付に駆け戻った。
美里が立ち上がり、バッグから紫の袱紗を取り出して受付に歩み寄る。
ミソジもその後に続き、香典を取り出した。
「この度はご愁傷さまです」
そう言った美里に、里奈が目礼し、香典を受け取った。
ミソジもそれに倣い、芳名録に記帳した。
お悔みを述べたミソジに、里奈は
「お忙しいところ、ご弔問いただき、ありがとうございます」
と返事をした。
「可笑しいわね」
弓森家の玄関に向かう石畳の上を歩きながら、美里が言った。
「何がです?」
「長男の嫁は受付。その母親は一般弔問客と同じ扱い。親子ともひどい扱いされてる」
美里がうつむきながら薄く笑った。
「喪主は里奈さんの旦那さんとちがうんですか」
仲が悪かったのは由利子とだろう。
ミソジはそういう意味で言った。
「その人にもよく思われてへんのよ」
「なるほど、そういうことですか」
「後で紹介するわ。昼間会えへんかったんやろ?」
「え? ええ」
開け放たれた玄関から弓森家の屋敷に入った。
遠くで僧侶が経を上げる声がする。
通夜は既に始まっているようだった。
スポンサーリンク
通夜式が終わり、喪主の代理が挨拶を述べた直後、ミソジは美里に連れられて部屋を出た。
立派な日本庭園に面した長い廊下を歩き、階段を上がる。
「大丈夫ですか?」
ミソジは美里の背中に小声で話しかけた。
「何が?」
「勝手に家の中を歩き回って」
「あたしは親族やし、何度もここに来たことがあるから」
そう言って、美里は尚も進んだ。
美里は二階の廊下を少し歩き、あるドアの前で立ち止まった。
ドアをノックし、返事を待たずに部屋へ入った。
「これはどうも、お義母さん」
中から男の声が聞こえてきた。
「隆明さん。あなた、お通夜におらへんかったよね。喪主やのに」
「ああ、いいんですよ。通夜ぶるまいとやらには出るつもりなんで」
「栄治さんの姿もなかったけど」
「あいつのことは知りません」
「けぇへんの?」
「またどこかで酒でも飲んでるんでしょう」
「これやと由利子も浮かばれへんわね」
「そんなことないでしょう。犯人を捕まえて死刑にしてやるのが一番の供養です」
「まあ、そうやね。そう思って…」
美里が振り返って手招きをした。
ミソジはその部屋に入った。
部屋の奥には畳が敷いてあり、そこに黒いスーツ姿の男があぐらをかいて座っていた。
男は横を短く刈った七三分けの髪型に、流行りの形の黒縁メガネをかけ、顎ヒゲをたくわえていた。
「こちら御堂筋さん。ほら、こないだ話してたコンサルの」
「ああ、そうでしたか。どうも」
隆明が居住まいを正した。
「はじめまして、御堂筋です」
ミソジは一礼した。
「御堂筋さん、この人が弓森隆明社長よ」
「社長はやめてくださいよ、お義母さん」
「隆明さん、あなた、今日のお昼に御堂筋さんと会う約束をすっぽかしたそうね」
隆明の言葉を半ば無視するように、美里が言った。
「あれ? 今日でしたか。これは失礼しました」
悪びれない様子で、隆明が軽く頭を下げた。
「いえ、お忙しいでしょうから」
ミソジは言った。
「その話もここでしてもらってもいいけど、その前に、ね」
美里が隆明に目配せした。
「ああ、そうでした。御堂筋さん」
隆明がこちらに視線を向けてきた。
「はい」
「杉成就を捜してもらえませんか?」
LEAVE A REPLY