ウェブ狼 第二十一話 ~すっぽかし~
秋晴れの土曜日。
ミソジは軽く顎を上げ、晴天の空を見上げた。
「先輩」
喧騒の中から聞こえた声の方を見やる。
瞳が小走りで駆けてきた。
ジャケットの上からでもわかる豊満な胸が揺れている。
つい目をやってしまう自分に内心で溜息をつきながら、ミソジは手を上げた。
「おはようございます」
軽く息を切らし、瞳が言った。
「おはよう」
短く答えて、ミソジは目的地方向へ歩き始めた。
「先輩、帰りにスタバ寄りません?」
瞳が肩越しに振り返りながら言った。
ミソジもつられるようにして、そちらを見た。
道を挟んだ斜め向こう側、交差点の角にスターバックスの看板があった。
「そうやな」
「あたし、ダークモカチップフラペチーノが飲みたくて昨日からうずうずしてるんです」
「ダークモカ……?」
「ダークモカチップフラペチーノです。飲んだことあります?」
「得体の知れない名前のものは、口に入れへん主義やからね」
ミソジは首を横に振った。
「先輩、まだ若いのに保守的ですねえ」
「俺はかなり保守的な人間やで。コーヒーはブラック派」
「砂糖もミルクもなし?」
「そんなもん入れたら味がわからへんようになるやんか」
「それはともかく一回試してみましょうよ、ダークモカチップフラペチーノ」
「ダークモカ…、なんちゃらね」
ミソジは角を曲がりながら言った。
「ところで、今回のクライアントさんって居酒屋でしたよね?」
瞳がビル群を仰ぎ見ながら言った。
「そう。居酒屋三店舗経営のオーナー社長。お、あのビルかな」
ミソジはビルを指差した。
一階部分が店舗になっている五階建てのビルだった。
「あ、それっぽいですね」
瞳が何度か頷いて、同意を示す。
「弓森は外出してます」
応対に出てきた派手な化粧の女が、そう言った。
その女は服装こそオフィスカジュアルの範疇に入るものの、金色に近い茶色の髪の毛を、少し前に流行った『盛り髪へアー』にまとめている。
雰囲気から察するに、瞳よりも若かった。
まだ十代かもしれない。
「私は御堂筋と申します。十二時に面会のアポをとってるはずなんですが」
ミソジは言った。
「はあ」
女はそう言ったきり、口をつぐんだ。
何とも言えぬ間が生まれた。
「えっと…、よろしければ弓森社長に確認してもらえませんか」
ミソジは耐え切れずに、そう言った。
「え? あ、はい」
意外なことを聞かされたとでも言わんばかりの表情を浮かべ、女が奥の部屋へと戻って行った。
「大丈夫ですか、この会社」
女の後姿を見送って、瞳が小声で言った。
「それは俺が聞きたいわ」
ミソジは溜息をついた。
「言っちゃ悪いですけど、キャバクラにいそうな感じですね」
「せやな」
「先輩は好きそうですけど。ああいう派手な感じの人」
「あほなこと言いなはんな。俺は派手な感じが好きなんとちがう。美しい女性が好きなんや」
「あ、差別発言」
「差別と違う、これは区別や」
「どっちにしろ大半の女子は、言い気がしませんよ」
「それは誤解やで」
「誤解?」
「美しいというのは主観的な表現やし、何をもって美しいと思うかは、人それぞれで…」
「詭弁ですよ、先輩。言い訳が苦しい」
「言い訳…」
ミソジの声が大きくなったとき、奥の部屋のドアが開いた。
さきほどの女が出てきた。
いつの間にか瞳と向かい合っていたミソジは、体の向きを元に戻した。
「えっと、すみません。弓森に電話がつながらなくて」
キャバ嬢風の女が、顔にかかった髪の毛の束を耳にかけながら言った。
女の長い爪には、カラフルな石がついていた。
「弓森社長が今日、どちらにおられるかご存知ですか」
ミソジは言った。
「会いに行くんですか?」
女が目を丸くした。
「いや、そういうわけではなく、こちらに来られるようでしたら待たせてもらおうかと」
「ああ」
女が頷いて続ける。
「すみません。弓森が今日どこにいるのかはわかりません」
「そうですか。では、来たことだけお伝えください」
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「忘れてるんですかね?」
ビルを出たところで、瞳が言った。
「かもな。一応、確認の連絡はしててんけどな」
ミソジは元来た道を歩きながら返事をした。
「最近、あの家は忙しそうやから」
「え? お知り合いですか?」
「お母さん、亡くなったばっかりやしな」
「え?」
「ほら、社長の名前、弓森やんか。こないだ亡くなった弓森由利子さんの息子」
「ええ!?」
「言うてへんかったっけ?」
「聞いてませんよ、仕事内容しか」
「あ、せやったな」
「ってことは、あのカフェの店長の旦那さんってことですよね」
「そう。ライフペイジの弓森里奈の」
「で、酒井美里さんの義理の息子」
「そういうことになるな」
「つまり、酒井さんは義理の息子の会社を立て直そうとしているってことですね」
「よその家庭の内情に首つっこみたくはないけど、まあ、そうやな」
「なるほど、そういうことですかぁ」
瞳が首をかしげながら言った。
地下鉄御堂筋線の本町駅周辺に戻って来た。
いつもは昼休みの勤め人でごった返す時間帯だが、土曜日ということもあって、さほど人の姿は多くなかった。
「先輩、スタバ行きましょう」
一歩進み出て、瞳が言った。
「ああ、そうやな。おっと…」
スマホが振動し、着信を告げた。
ジャケットの胸ポケットから取り出す。
液晶画面には、酒井美里の名前が出ていた。
「はい、もしもし」
ミソジは画面をタップして、電話に出た。
『こんにちは。あなた、今どこにいてるの?』
いつものようにハリのある美里の声が聞こえた。
「本町です。弓森社長のところへ行ったんですが…」
『ああ、そうなん? どうやった?』
遮るようにして、美里が言った。
「いえ、それが弓森社長が外出してはって、会えませんでした」
『ああ、そう。せやったら、ちょうどええわ』
「何がです?」
『今夜、弓森家でお通夜があるねん』
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