ウェブ狼 第一話 ~偉そうなあいつからの依頼~
「他を当たりな」
杉が言って、グラスを傾けた。
飲んでるのはいつものバーボン。
ケンタッキー産のキツイやつだ。
奴は一杯目に必ずそれを生のままやる。
そして、それを飲み終えるまで一言も喋らない。
それを知らない輩が話しかけると、さっきみたいに追い払われることになる。
『男が独りで酒を呑みに来た。一杯目が終わるまでの時間を邪魔するのは野暮だ』
以前、杉が言っていた言葉だ。
キザな野郎だと思う。
だが、自分の決めたルールを守ろうとする男を嫌いではない。
他人の権利を侵害しない範囲で、という条件はつくが。
杉がグラスを空にした。
スーツの内ポケットから出したハバナ・シガーの先をギロチンカッターで切り落とし、マッチの火で先端をあぶる。
緩慢なように見えるが、なめらかな手つきだった。
確か『クアバ』とかいう銘柄の葉巻だとミソジは思った。
以前、葉巻についての講義をしてもらったことがあったが、長すぎて途中から聞き流していた。
酔うほどに話が長く、ややこしくなるのが杉の特徴だった。
「よかったんか? さっきの奴、仕事の依頼やろ。あいつはあんたが現れるのを一時間も前から待ってた」
ミソジは、杉が最初の煙を吐くのを待って話しかけた。
「ああ、いいんだ、ミソジ。別に仕事に困ってるわけじゃねぇ」
杉がこちらを横目に見て言う。
「なら、ええけど」
ミソジはドライマティーニを干した。
『BAR SEO』。
大阪ミナミの外れ。
カウンター六席に、二人掛けのテーブルが三脚あるだけの店だ。
狭い店内にもかかわらず、満員になることはほとんどなかった。
理由は、駅から少し歩くからというだけではない。
客が男ばかり、しかも連れ立って来る者が少ないからだ。
ここの客はそれがルールだと教えられたわけではないらしい。
しかし、今のところミソジ自身も何となくその暗黙の掟を守っている。
絞った音量でかけられているBGMが耳朶に触れた。
サッチモが、しゃがれ声で世界を素晴らしいと歌っていた。
ミソジは空のグラスを掲げて賛同した。
「おい、杉」
飲み干したグラスを置いて、ミソジは言った。
「なんだ?」
「あんた、最近、マーケティングコンサルタントを名乗ってるらしいな」
ミソジは杉の本職を知らなかった。
とはいえ、金になることになら何でも首を突っ込むタイプの人間だということは知っている。
「縁があって、な」
「仕事、回したろうか」
「どうした、珍しいな、ミソジ。あんたがそんなこと言うなんて」
杉がこちらを向いた。
相変わらずの寝不足らしく、目の下に濃い隈ができている。
「俺は最近、イライラしててな」
ミソジはバーテンに同じものを注文した。
「ほう?」
「SEOだのリスティングだの、やる前から結果が見えてる仕事ばっかりや」
事実、会社での仕事が生温くて仕方なかった。
いつも同じことの繰り返し。惰性と慢心が職場を覆っているのに嫌気が差していた。
「つまらない、ってか。贅沢な悩みだな。その仕事が欲しくて犬みたいに駆けずり回ってる連中がいるってぇのに、よ」
杉が片頬で笑って言った。
「連中には美学がない。俺にはそれがある。その違いや」
「それだけか?」
「それだけ、や」
言って、ミソジはバーテンからドライマティーニを受け取った。
スポンサーリンク
「残念だな、ミソジ」
杉がカウンターテーブルに置いたグラスを揺らしながら言った。
「何が、や?」
「あんたに、仕事を頼みたかったんだが」
「あんたが俺に、か? 珍しいこともあるもんやな」
「正確に言うと、俺のクライアントからの紹介だ」
杉が声を低めて言った。
「あんたがやったらどないや、杉」
「それが、ちょっとヤバい案件で、な」
杉が紫煙を吐いた。
それが暗い店内で、やけに目立って見えた。
「あんたらしくないな、びびってんのか?」
もう少し茶化してやろうと思って杉を見た。
杉の横顔が強張っていた。
「ああ、びびってる」
重々しい口調だった。
「ヤバい仕事やとわかってて、なぜ俺に振る?」
ミソジは訊いた。
「それは、だな‥‥」
LEAVE A REPLY