ウェブ狼 第二十九話 ~聞き込み~
「先輩。杉って人の事務所がここにあるって本当ですか」
瞳が大きな目を更に見開いた。
「かもしれへん、ってだけや」
「なんでそう思ったんですか」
「細かいことは後で話す。俺は今、奴を、杉成就を追ってんねん」
ミソジは一階の奥にあるエレベーターホールに歩を進めた。
「それはわかりますけど」
「奴が行方不明なのは知ってるよな?」
「弓森由利子さんが殺された、あの件と関係が?」
瞳が首をかしげながら言った。
「恐らく。で、俺は事情があって奴を追ってる」
「こないだ警察の人が来たことも関係あるんですか」
「いや。悪いが、今は説明する時間がない」
腕時計に視線を落とす。
首筋が痛んだ。
「じゃあ、後で詳しく教えてください」
瞳がそう言って、ボタンを押した。
エレベーターが開く。
「一緒に行く気か?」
「行かないわけないでしょ」
瞳がエレベーターに乗り込み、閉まりかけたドアを手で押さえる。
「先輩、時間ないんでしょ? さ、早く」
「ああ」
ミソジはエレベーターに乗り込んで最上階のボタンを押した。
狭いエレベーター内はかび臭かった。
六階に着いた。
エレベーターが開くと、目の前に若い女がいた。
黒髪に地味な服装で、化粧っ気が少ない。
女はミソジを見た後、背後の瞳に視線をやった。
「あ、お疲れ様です」
女がそう言い、こちらと入れ替わりにエレベーターに乗った。
「知り合いですか」
エレベーターが閉まって動き出すと、瞳が言った。
「んなワケない」
ミソジは言って、廊下に踏み出した。
左側にいくつかドアがあった。
エレベーターに最も近いドアの前に立つ。
ところどころ白い塗料が剥がれた金属製のドアには、ネームプレートやマーク、目印の類はなかった。
ミソジは一瞬、躊躇したものの、ドアをノックした。
その音が廊下に響く。
が、反応はなかった。
ドアノブに手をやり、回そうとしたが、微動だにしなかった。
二つ目のドアも同じだった。
舌打ちをして、ミソジは三つ目のドアへ向かった。
一つ目、二つ目のドアの間隔に比べ、少し距離がある。
ドアをノックする。
が、反応はない。
半ば諦めながら、ドアノブに手をかける。
と、それが回った。
隣りにいた瞳に視線をやる。
目が合うと、瞳が頷いた。
ミソジはゆっくりドアを開けた。
中から音楽が漏れ聞こえてきた。
女性アイドルグループの曲が絞った音量で流れている。
入ってすぐのところに、髪を栗色に染めた派手な化粧の若い女がいた。
椅子に座って足を組み、スマホを眺めている。
女はこちらを一瞥し、スマホの画面に視線を戻した。
「ちょっと聞きたいねんけど」
ミソジは話しかけた。
「おじさん、誰? 新しいスタッフさん?」
女が、デニム生地のショートパンツから出た長い脚を組み替えながら言った。
視線はスマホの画面に向けたままだ。
「いや、ちゃうけど、聞きたいことが…」
「お店なら下やから、そっちで受付して。あたしら料金的なこととか知らんし」
「ここは?」
「見たらわかるやん。女の子の待機所。おじさんたちが入ったらあかんとこ」
女が早口で言った。
相変わらず、スマホを見ている。
「そうか。邪魔した」
ミソジはそれだけ言い置いて、部屋を出た。
瞳と共にエレベーターのところまで戻った。
「どうするんですか」
瞳が言った。
「手前の二つの部屋が気になる」
「管理会社に電話しますか? 事務所があるなら名前くらい教えてくれるんじゃないですか」
「まだ朝早いからな。しかも今日は日曜日やし、管理会社が休みかもしれへん」
「急ぐんですよね」
瞳がエレベーターのボタンを押した。
「ああ」
「じゃあ、聞きに行くしかないですね」
「どこへ」
「下のお店」
「知ってたとして教えてくれるかどうか」
「どっちにしろ聞いてみないとわかりませんよ」
エレベータが開き、瞳がそれに乗った。
「行きますよ、お・じ・さ・ん」
「やかましいわ」
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五階。
廊下にまで響く、かまびすしいハウスミュージックが流れていた。
開け放たれているドアから中に入る。
入店を知らせるチャイムが鳴った。
「はい、いらっしゃいませ~!」
黒いカーテンの奥から威勢の良い声が聞こえた。
よく日焼けした若い男が出てきた。
ピンクのワイシャツを着て、髭を生やしている。
「ご予約は?」
「いや」
「ほな、お早目から出しますね。今、ちょっと女の子少ない時間帯なんですけど…」
そう言いながら店員がカウンターの下からパネルを取り出した。
半裸の若い女の写真が、カウンターの上に並び始める。
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
ミソジはパネルに一瞬だけ目をやって言った。
「はい?」
「今、ある男を捜してて…」
「は? 女の子じゃなく?」
「ええ」
「冗談はやめてくださいよ、お客さん」
店員が口元だけで笑った。
「これが冗談とちゃうねん。ある男を捜してて…」
「あなた、警察の人ですか? それとも浮気調査の探偵とか興信所?」
店員がいぶかしげにこちらを見る。
「いや、ちゃう。その男はここの店に来てるかも…」
「お客さん、いや、お客さんとちゃうな」
店員が咳払いをして続ける。
「遊ぶ気ないんなら帰ってもらえますか? こんなん言うのもあれやけど、商売の邪魔なんでね」
「それはわかんねんけど…」
「俺は今、帰れって言うたんですわ。聞こえましたよね?」
店員が語気を強めた。
顔には愛想笑いを貼り付けたままだった。
「…わかった」
ミソジは踵を返した。
「またお待ちしてまあす」
打って変わって軽い感じの声を背中で聞いた。
廊下に出る。
瞳がエレベーターの傍で待っていた。
「どうでした?」
「予想通り」
「というのは?」
「商売の邪魔やから帰れ、と。そら、そうやわな」
「話、聞けなかったんですか」
「取り付く島もなかった」
「どうします?」
「別の店で聞いてみるしかない。時間ないしな」
「わかりました」
瞳がエレベーターを開けて乗った。
ミソジもそれに続く。
エレベーターの中で思案を巡らせた。
四階に着き、ドアが開いたときに思いついた。
「よし、そうしよう」
「なんですか」
「新田、協力してくれるよな」
「え? はい」
事情を呑み込めないながら瞳が頷いた。
「よし、ほんなら行こう」
ミソジは瞳を促して、先に行かせた。
「ちょっと、先輩。あたしも行くんですか?」
「そう」
「いや、ダメでしょう。女性の利用は…」
「まあまあ」
「何が、『まあまあ』なんですか」
上の階と同じく開け放たれたドアから中に入った。
この店には音楽が流れていなかった。
「はい、いらっしゃ…」
カーテンの奥から出迎えの声が聞こえたが、途中で止まった。
「せ、先輩…」
瞳が振り返った。不安げな様子を隠そうともしていない。
「大丈夫」
「なにがどう大丈…」
「ちょっと、スンマセン」
瞳の抗議をかき消すような、しゃがれた声が聞こえた。
ワイシャツの上に黒いベストを着た四十がらみの男が、奥から出て来ていた。
「うちの女の子とちゃいますよね?」
スーツの男が瞳を上から下まで見て言った。
「ああ、せやで。この子をここで雇ってもらおう思ってな」
ミソジは言った。
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