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ハードボイルドなブログ小説家が綴る雑多ブログ

撤退でも敗北でもなく、「転進」だと思えるようになったら楽になる

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戦前(第二次世界大戦前)、旧日本軍は戦局が不利になり、島嶼防衛などを諦め撤退するとき、『転進』という言葉を使ったことをご存知だろうか。

これは責任問題になるとか、味方の士気に関わるとかの理由が主だったと記憶している。

 

それ自体は欺瞞以外の何ものでもなくて、当時の人でさえ内心は「何を言ってやがる」と思っていただろう。

 

だけど、批判を恐れずに言うと、言葉というのはこういう風に使うもので、言い換えをすることによる効果は案外大きい。

(と言っても、旧日本軍を褒め称えているわけではない。賢明な読者の皆さんならおわかりのことだと思う)

 

わざわざ旧日本軍を例に引いたのは他でもない。

僕が今回扱いたいのは、この『転進』という表現について、だ。

 

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過去の自分のこと

僕は20歳のときに小説家を志し、20代半ばまで苦しんで、苦しみ抜いて一つの小説を書き上げた。
原稿用紙500枚くらいの力作だ。

 

そして、それを読み返して絶望した。

とにかく全てがダメだった。

 

だから、勉強のために本を、小説を読み漁った。
とにかく読んだ。

 

そして、書いた。

寝食を忘れて書いた。

 

出来上がったのは原稿用紙200枚くらいの純文学小説だった。

そう、僕は小説を読み過ぎて血迷った挙句、文学の沼にハマりこんだのだ。

 

だが、その目を覚ましてくれたのは文学賞だった。
一次選考にすらカスりもせず、あっけなく散った。

 

僕はそこで目を覚まし、次に別の小説(原稿用紙220枚)を書き上げて、自費出版した。

この小説は、大げさに聞こえるかもしれないが、20代との決別のために書いたものだった。

 

※出版した小説はココで読める。(無料)

(以前、サイト制作練習用に作ったものなのでデザイン性がなく読みづらい。申し訳ない)

 

それから4年、僕は仕事をしながら、長編小説を2つ書いた。(二篇と言うべきか)

 

一つ目は原稿用紙換算で1200枚にも及ぶ大長編だった。

でも、長すぎて物語が完全に破綻していた。
言うまでもなく、没。

 

そして、その後に書いた小説(原稿用紙換算約500枚)が『第12回このミステリーがすごい大賞!』の一次選考を通過した。
(結果は二次選考で落選)

 

※一次選考の講評はここで読める

 ⇒ http://konomys.jp/archives/vol_12/first-vol_12/4843.php

 

※この作品も、ここで読める。

 

 

「一次選考なんか、小説としての体裁が整っていれば誰でも通る」などと言われることもある。

それは知っている。

 

でも、約400もの小説の中から20作品選ばれた中に、自分が残ったのは素直にうれしかった。

その先には行けなかったけど、その時点での限界がそこだったから仕方がない。

 

次こそは、とも思うが、今は書けない。
投稿した作品を最後に一旦、小説家を休業しようと思ったからだ。

 

なぜか。

身も蓋もないことを言うようだが、単純に生活苦に陥ったからだ。

 

夢を追うことの恐さ、自己否定の難しさ

米びつが空になっては、小説も書けない。

結構前にそのことに気づいていたけど、見て見ぬふりをしていた。

 

だけど、それにも限界がきた。

僕には守らなければならない家族がいた。(嫁と動物たち)

 

目を覚まさせてくれたのは家族と、そのうちの一人(猫)との別れだった。

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夢を本気で追ったことのある人ならわかると思う。
(夢と言っている時点でダメだということが今ならわかるけど、それは別の話)

 

全員がそうだとは言わないが、いつからか夢を追うこと自体が目的になってしまうことがある

自分を洗脳し、夢を追う自分のことを格好良いと思ってしまう。

 

そして、それに気づかないのだ。

僕は正にこの罠にハマっていた。

 

才能がある人間なら、そのまま突き抜けるのだと思う。

 

残念ながら、僕には才能がなかった。
だけど、僕はそれを認めることが怖かった。

 

自分を、10年以上それに賭けてきた自分を否定することになるから。

夢を追うのを止めてしまうと、自分には何も残らなくなるから。

 

そんなこと言っている状況でないことはわかっていた。
でも、僕は人一倍こだわりの強い人間なので、どうしても踏ん切りがつかなかった。

 

どこかで折り合いをつけなければならなかった。

 

参考(内部リンク) ⇒ 【コラム】不要なこだわりを捨てること。変化を恐れないこと。

 

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勇気を持って決断せよ。転進すべし

悩みに悩んで、のたうち回った。

自分がこんなに決断力がない人間だとは思わなかった。

 

どれくらい時間が経ったかわからないくらい迷った。

 

そしてふと思い至った。

以前、本を読んで学んだ『転進』という言葉に。

歴史的経緯はおいといて、自分を納得させるのに、これほどの言葉はないと思った。

 

 

僕は敗北したわけでも、そこから逃げたわけでもない。一時、転進しただけだ

 

 

自分にそう言い聞かせた。
少しだけ、肩の力が抜けたような気がした。

 

言葉というものは怖いもので、本気でそう思うと自分さえも騙すことができる。
とはいえ、生活のためだけに働くことは僕には難しかった。(往生際が悪いとは自分でも思う)

 

だから、転進したということを起点にして、色々な理由を見つけた。

 

たとえば、

・別の仕事を経験して、それを小説に活かす。
・小説にとらわれすぎて狭い世界でしか生きていなかったから、視野を広げる。
・手に職をつけて、何があっても食いっぱぐれないようにする。
・自分のことだけでなく、社会の役に立つために働く。

 

など、だ。

 

特に最後の理由は大きかった。
自分だけのためではなく、もっと大きなところに目を向けるのは必要なことだろうと思う。

 

正直言って、『転進』なんて欺瞞だ。

それはわかっている。

 

だけど、僕は現実と折り合いをつけなければならなかったし、そうすることで自分を変えなければならなかった。

自分を変えることでしか、見えてこないものもある。

 

山 景色

言葉というものは誰にでも操れる。

でも、それを知っていて漫然と使っているだけでは意味がない。

 

その言葉の持つ本当の意味、背景を知らなければわからないこともある。

 

 

転進

 

 

たった二文字の言葉だ。

でも、その言葉が僕を救った。

 

もし、僕以外の誰かにも響いて、それでその人が良い方向に進めば、この記事を書いた意味がある。

 

それから

転進した僕は忙しい毎日を送っている。

誰にも読んでもらえないかもしれない小説原稿を書くのに悶々としていた日々より充実しているかもしれない。

 

だけど、心の奥底ではまだ小説を忘れていはいない。

 

 

だって、『転進』だから。

 

 

僕はいつか必ず商業出版で自分の本を出す。

それが小説でなくてもいいとすら思えるようになった。

 

これも、『転進』が導いてくれた副産物だ。

 

そして、それは夢ではなく、目標だ。

 

そのために、今日も明日も目の前のことに必死に取り組む。

 

参考(内部リンク) ⇒ 『スイスイ』にはかなわない『グイグイ』な僕たちがやるべきこと

 

最後に一言

ブログもできる限り頑張りますw

 

最後の最後に一言

僕の小説サイト、近いうちにリニューアルしたいです。
あのデザインは酷いw

 

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