大学をやめかけて休学し、結局戻って卒業したけど、にっちもさっちもいかなかった話
たまには人様のブログ記事に便乗してみようと思う。
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⇒4ヶ月で大学を中退し起業します。レールに沿ったつまらない人生はもう嫌だ。
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今、見ると少し前のエントリーだ。
あまり他人のブログを見ないから、情報がかなり遅れているらしい。(笑)
それはいいとして、この機会に、僕が大学に入るときから卒業まで、そして、その後を駆け足で語ろう。
多分に恥をさらすことになるんだけど、別にそんなことはどうでもいい。
若者たちは何らかの参考にしてほしい。
人生賭けて大失敗しているから。
※以下、便乗記事と見せかけての自分語り注意
(※2016年9月19日現在、当サイトはバグが発生しているため、若干お見苦しいところがあるかもしれません。すみません)
受験浪人して入った大学
まだ二十世紀だった頃の話だ。
僕は現役合格した大学へ行かず、受験浪人した。
その結果、第一志望に落ち、後期試験で山口大学を受験することになった。
正直なところを言うと、予備校のチューターに勧められるままに後期試験の願書を出した。
(前期で受かるつもりだったから後期なんて知らんと思っていた、笑)
だから受験科目も知らなかったので焦ったが、確認すると小論文だったので胸を撫で下ろした。
なぜならば、僕は文章を書くのが昔から得意だからだ。
案の定、小論文の勉強を一度もせずに受かった。
というより(行きたくないのに)受かってしまった。
しかし、この頃には、僕は将来の夢がはっきりしていたので、受かった大学へ行くことに決めた。
(ちなみに、私立大学は学費の関係で受験してない)
山口での生活
山口市はとてもとても、それはそれは大層のどかなところだった。
良いところを挙げるとキリがないのだが、
◆田舎なので全体的にのんびりしている
◆良い人が多い
◆空気が美味い
ってところだろうか。
夜になると天の川がくっきり見え、星がこんなに沢山あるんだと感動したことを鮮明に覚えている。
しかし、その反面、悪いところもあった。
それは、
のんびりしすぎていて、危機感に乏しい
ということだ。
大学生活
僕は、浪人しているときに、真剣に将来のことを考え、小説家になると決めた。
『真剣に考えた結論そこかい』というツッコミは甘受するが、大真面目だった。
思いつく限りの職業を挙げ、なれないもの、なりたくないものを消していった結果だった。
なぜなら、重ねて言うが、僕は文章を書くことが得意だったからだ。
その判断が将来的に大失敗につながるんだけど、それはさておく。
なにはともあれ、僕は明確な目的意識を持って大学に入学した。
だから、周囲と考えが合わないことが多く、半年経つ頃には大学へほとんど行かなくなってしまった。
何をしていたかというと、自宅に引きこもって執筆活動に勤しんでいたのだ。
(サッカーサークルに所属していたので、週二回の活動日と個別トレーニングのときだけは外出していた)
その頃の僕は、毎日のように自分の才能の無さに絶望していた。
どうやっても面白いものが書けないのだ。
今、振り返れば、大した読書量もないのに小説を書こうとしても無理だとわかる。
しかし、当時は自分の才能の無さを痛感しながらも、それに抵抗する毎日だった。
僕の決断
そんなこんなで二年が過ぎ、僕はまともな作品を仕上げられないまま、日常に埋没しかけていた。
執筆活動から逃げ、サッカーに打ち込み、社会人リーグで優勝したり、彼女を作ってはフラれ、その度にヤケ酒を浴びたりしていた。
そんなあるとき、ふと思ったのだ。
自分はこのままではいけない、と。
そう思ってからの僕は、行動が早かった。
三年生になった春、僕は実家に戻り、両親にこう告げた。
『大学やめるわ』
両親はもちろん反対した。
当然だ。
実家から通える地元の公立大学に現役合格したのに、それを蹴り、受験浪人した挙句、入った大学をやめる。
これ以上に、親不孝なことはないんだけど、当時の僕はそんなことも看過してしまうほど、焦っていた。
結局、休学という措置をとった。
どこかで両親に悪いという気持ちもあったし、反対を押し切ってまで退学する意味はないと思ったからだ。
でも、いつでも戻れるとは全く思っていなかった。
というより、二度と戻るつもりはなかった。
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休学してから
大学を休学してからの僕は、小説を書きながら音楽活動もやろうとして、一瞬で挫折した。
(何がしたかったのか自分でもよくわからない)
そして、実家に戻って三ヶ月、リゾート地で三ヶ月、大阪で半年アルバイトをしながら執筆活動に勤しんだ。
(この間、本当にさまざまなことがあったが、紙幅の関係で割愛)
そもそも、人生経験が足りないことも小説が書けない理由だと思っていた。
しかし、そんなことはなかった。
人生経験を積んでも、書けないものは書けない。
そりゃそうだ。
読書量が圧倒的に足りていないから。
書き方も学ばずに、書けるはずがないのだ。
しかも、生活のためにするアルバイトを掛け持ちしていたせいで、なかなか執筆に割く時間がとれなくなっていた。
こうなると悪循環にはまってしまう。
蓄積する疲労、生活費に消えていくだけの給料。
自分の中で、かなりの葛藤があったけど、僕はある決断をした。
結局、復学する
結局、僕は両親に頭を下げて、大学へ戻ることに決めた。
つまり、社会から逃げたわけだ。
働くことの厳しさに耐えられなかっただけなのだ。
いやはや何とも格好悪い、というよりめちゃくちゃダサイんだけど、小説を書くということを最優先した結果だと当時は自分を納得させていた。
やめると威勢良く啖呵を切っておいて一年で戻る。
ある意味、見切りが早いと言えるのではないだろうか。(必死の自己弁護)
復学するために山口に戻ると、大学の同級生や先輩後輩が温かく迎えてくれた。
僕は在学中、彼らと一定の距離をとっていたから感謝しながらも何とも言えない気分だった。
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復学してから卒業まで
大学に戻ってからの僕は、ほんの少しだけ大人になっていた。
猛烈に勉強して、一年半で卒論を含めて80以上も単位をとった。
(当時は授業さえ受けられれば無制限に単位がとれた)
でも、たった2単位足りずに、半年留年した。
週一回(90分)の授業を受けるために、大学に残るという残念な結果となった。
(しかも家から徒歩5分の本学キャンパスではなく、交通機関を使って一時間以上かかる隣市のキャンパスへ通っていた、笑)
もちろん、その時間を利用して小説を書いた。
しかし、できあがったのは原稿用紙250枚にも及ぶ駄作という名の『そびえ立つクソ』(映画フルメタルジャケットより引用)だった。
卒業後、大阪へ
半年後、半期卒業した僕は、後輩たちに見送られながら大阪へ移住した。
都会に住みたかったので、土地勘のあるところへ行き、そこで職を見つけた。
僕はアルバイトのつもりで入ったんだけど、そこはブラック企業だった。
その辺のことは、ここに記してある。
それから紆余曲折あって、僕はフリーライターとして独立し、食えなくなって開店休業状態。
ただのフリーターと化しながらも、自費出版をし、最後は『このミス大賞』の一次選考を通過したところで断筆した。
【参考】
⇒第12回このミステリーがすごい! 大賞、一次選考の選評
結局、そこに至るまで10年かかっているわけだ。
年齢だけ重ねて、何も成し遂げていない。
これは明らかに大失敗だと言える。
ちなみに、その後は職業訓練を経て、35歳でIT系の会社に就職し、プログラマからデザイナーを経て、マーケターとなった。
(35deFAという当ブログのタイトルは、35歳で転職したことによる)
にもかかわらず、僕は未だにこうやって文章を、そして小説を書き続けている。
諦めの悪さに、自分自身、辟易としながらも、それだけはやめられないようだ。
【当ブログ内小説記事】
⇒読み切り短編小説 迷探偵『読了コンナン』 ~読者への挑戦状 君は最後まで読み切ることができるか~
⇒【純文学風読み切り短編小説】 ~帰郷~ 【R-15+指定】
⇒【十八禁】箱庭 ~いわゆる純文学風短編小説~ 第一話【二話完結】
⇒【短編小説】浮気なん? 旦那と妻の浮気で嫌いと大好きが交錯してむかつくけど、わからないので死ぬ寸前まで行った件 ~第一話
⇒【長編小説】ウェブ狼 第一話 ~偉そうなあいつからの依頼~
僕が失敗した理由
挙げればキリがないし、ここまで読んでくださった読者諸氏の方がわかっているかもしれないけど、一応記しておく。
① 計画性が全くなかった
② 自分を客観的に見られなかった
③ 何が悪くて、問題を解決できないのか分析と原因追求ができていなかった
まあ、大体こんなところだろうか。
①に関しては、(音楽をやっていないけど生き方的に)ロックンロールを気取って、
出たとこ勝負や!!
なんて言っていた自分を、今になってとても恥ずかしく思う。
それにしても、何でも勢いでやってしまう若さとは怖いものだ。
これを見ている若者は、是非こんなことにならないよう気をつけてほしい。
ヒドイ結論だが、もう少し続く。
おためごかし的な結論
冒頭で挙げた彼のことを、僕は詳しく知らない。
だけど、これだけは言える。
自分で決断したのだから、どんな結果になろうとも受け入れる、
俗っぽい表現をすれば、『自分(てめぇ)で自分(てめぇ)の尻を拭く』てことができる、
それができるなら、大学を辞めようが、何をしようが彼の自由だと思う。
何だか彼が失敗するような言い方だが、そういうわけではない。
ただ単に、僕が何度も失敗したからその観点からの意見を述べただけだ。
とにもかくにも、彼を含めた若者には、僕のように計画性がないまま突っ走ることがないようにしてもらいたい。
まあ、才能があって運が良ければ、ある程度の見切り発車でも何とかなるのが、世の中の怖いところなんだけど。
そして、彼がそうでないとは限らないから、詳しく知らない以上、何とも言えない。
彼が全く新しいビジネスモデルを抱えているかもしれないし、これから良い縁があるかもしれないし。
とはいえ、結局は、
人生が終わりに近づく頃、笑っていられるかどうかで成功だったか失敗だったか決まる
と思う。
失敗しないに越したことはない。
でも、もし失敗したとしても、それで命をとられるわけではない(だろう)。
生きてさえいれば、何とでもなる。
是非、笑って終われるように頑張ってもらいたい。
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