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新卒で入った会社が割とブラックだった話⑫【完】~終焉、そして決別 後篇~

新卒で入った会社が割とブラックだった話⑫【完】~終焉、そして決別 後篇~

男性が去っていく後姿のシルエット
By: Giuseppe Milo

以下、この話はフィクションだと思って読んでください。
フィクションに決まっています。大事なことなので二回言いました。

前回までの記事はコチラ
新卒で入った会社が割とブラックだった話①
新卒で入った会社が割とブラックだった話②~奇々怪々? 人事異動、移動~
新卒で入った会社が割とブラックだった話③~意味ない駆け引き~
新卒で入った会社が割とブラックだった話④~呼び出しをくらう僕~
新卒で入った会社が割とブラックだった話⑤~キレる僕~
新卒で入った会社が割とブラックだった話⑥~派閥の話、前篇~
新卒で入った会社が割とブラックだった話⑦~派閥の話、後篇~
新卒で入った会社が割とブラックだった話⑧~労働組合の存在 前篇~
新卒で入った会社が割とブラックだった話⑨~労働組合の存在 後篇~
新卒で入った会社が割とブラックだった話⑩~社長の思い出~
新卒で入った会社が割とブラックだった話⑪~終焉、そして決別 前篇~

フロアリーダー見習い

社員になった僕はフロアリーダー見習いというポジションに就いた。

といっても正式な役職ではなく、要はぺーぺーの状態から一歩前進しましたという状態だ。

 

変わったことはといえば、発注業務を任されるようになったりとか、東京とのやりとりに駆り出されるようになったことだ。

 

それに加えて、朝礼にも参加することになった。

東京の本社ビル内会議室で毎朝行われていた朝礼(という名の説教)に、大阪店も電話で参加していた。

電話をつなぎ、音声会議の状態で、だ。

つい先日まで東京で働いていたから、朝礼に参加している、ほぼ全員の名前がわかる。

僕みたいな下っ端について社長がどうこう言うことはないから、怒られている社員には悪いけど、割と楽しんで聞いていた。

 

大阪店にいると、社長の直接の脅威は感じないし、立地が田舎だったこともあって牧歌的な雰囲気さえ漂っていた。

もちろん、そんな風に感じていたのは末端社員の僕だけだったんだろうけど。

 

日報を任される!

大阪に戻って来て3ヶ月くらいが平穏に過ぎた。

相変わらず人員の入れ替わりが頻繁にあったけど、僕自身は何事もなく大阪店で日々の業務をこなしていた。

 

そんなある日、N主任(大阪店店長)に呼び出されて、こう告げられた。

「杉、今日から二階フロアの日報を任せるわ」

「え? 俺が、ですか」

「そう。頼むよ」
N主任がいつもの柔和な表情で重要なことをさらりと言った。

僕はその瞬間、誰かに肩の辺りを押さえつけられたかのような重圧を感じた。

簡単に言うと、それは責任というやつなんだけど、これまで気楽にやっていたので、尚更、重く感じられた。

 

日報を書くというのはフロアリーダーの主業務と言って差し支えないくらい重要な仕事だ。

これを任されるということはフロア全体、いや、大阪店の場合は2フロアしかないから、店自体の評価を大きく左右することに他ならない。

しかも、だ。
僕は発注業務も任されていた。

つまり、僕は実質フロアリーダーの役割を担うことになったのだ。

 

これはありていに言えば出世の第一歩だ。

しかし、なぜ急にそんなことになったかというと、これにもまた人事異動が関係していた。

 

 

フロアリーダー代理を任される必然性

その年になって五か月間で、大阪店の社員が三人辞めた。

時期も退職理由も違っていたけど、元々、メカニックを合わせて七人しかいない店としては大きな打撃だ。

 

詳細は省くけど、フロアの構成を変えたり、東京からも応援が来たりと、いつも以上に異動が行なわれていた。

 

そのとき、大阪店の二階フロアには僕以外にフロアリーダーのH係長と、Yさんという人がいた。

身も蓋もない話をすると、この二人は社長に嫌われていた。

朝礼でもよく槍玉に上がり、長時間罵倒されていた。

 

二人に共通するのは根が真面目という部分だ。

H係長は納得いかないことがあると頑として動かないタイプで、Yさんは曲がったことが嫌いというタイプだ。

タイプは違えど(性格も違った)、二人とも極力ダーティーなことはしない。

売り上げの数字もそのまま計上するので、日報の見栄えは悪くなる。

結果、社長に嫌われ、冷遇されるという構図だ。

 

普通に考えると、この二人が正しいんだけど、社内的には馬鹿正直だという評価を受けていた。

それを危惧したN主任の一存で、なのか、もしくは社長の指示なのかはわからないけど、僕がフロアリーダー代理をさせられることには必然性があった。

 

自分自身に愕然とする

簿記
By: Internet Archive Book Images

僕は不慣れな作業に戸惑いながら、日報を入力していた。(当時、エクセルすらまともに扱えないPCオンチだったのだ)

 

数日経ったある日、僕はとんでもないことに気づく。

 

それまで、集計と入力作業に手一杯だったせいで、自分がしでかしていることに気づいていなかった。

 

 

僕は数字を操作していたのだ。

それも、自分の都合の良いように、だ。

 

以前にも説明したが、フロアの売り上げとは別に毎日、個人の売り上げも日報に記入される。

社長が次に日にそれを見て、個人攻撃をするという様式美まで紹介した。

 

社員たちはそれを防ぐために、フロアの売り上げを年功序列(もしくは役職順)に割り振っていた。

東京ではそれが当たり前とされていたけど、僕は社長に呼び出されたとき、「そんなのは茶番だ」と偉そうに言ったことがあった。

 

それを自分がやっていたのだ。

それに気づいた僕は愕然とした。

 

数字を操作するに至る理由はいくつかあった。

まず一つ目は、僕が知らず知らずのうちに社風に染まったことだ。

僕は周囲の環境に馴染むのが早いらしい。(長年近くで見ている嫁がそう言っていたからそうなのだろう)

それが今回は悪い方向に出ていた。

 

二つ目の理由は、フロアリーダー代理(?)になったことだ。

そのせいで、フロアの売り上げ、個人の売り上げを今まで以上に気にしなければならなくなった。

それが自分の評価に直結するからだ。

 

三つ目の理由は、Yさんの辞職が決まっていたことだ。

辞職が決まった社員の売り上げは一番下にするという慣例があった。

これも元々は、社長に説教されないようにするためだったらしい。

「辞めるような奴より売り上げが悪いってどういうことなんだい? ああん?」
という社長の声が聞こえてきそうだ。

 

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そんな人間になりたくなかった

僕は最低だった。
自分の都合の良いように数字を操作していたのだ。

 

「数字の操作なんて茶番だ。恥ずかしくないのか」くらいの勢いで社長に噛みついておきながら、自分でそれをやっていた。

 

確かにそうやっておけば波風が立たないし、フロアを効率的に運営するという点では正しいかもしれない。

個人の売り上げにこだわるようになると、人間関係も悪くなるし、売り上げに直結しない業務が疎かになるだろう。

 

今、改めて考えると、多少の数字をするのが正しいのではないかという気持ちもあるし、「それくらいいいじゃないか」とも思う。

 

でも、当時は僕も若かったし、今よりもっと潔癖だったから、自分がそんなことに手を染めるという事実が許せなかった。

 

不器用な奴だな、と、37歳になった僕は当時の自分を懐かしく思う。

だけど、譲れないものが誰にでもあるもんだ。

そのとき、僕がそう判断したのだから、そのことは尊重したいし、十年以上経った今でも、それが間違っていたとは思わない。

 

傍から見ると、それくらいは細かいことかもしれない。

しかし、これは不正の第一歩だった。

これを許すと、もっと大きな数字の操作をするようになる恐れがあった。(専務や部長のように、だ)

そして、僕はその誘惑に抗えるという確信を持てなかった。

 

僕は弱い人間だ。

このまま社内に留まると、遅かれ早かれ専務や部長に似たようなことをしそうな気がした。

そして僕は、そんなことをするような人間になりたくないと、強く思った。

 

涙の新御堂筋

高速道路 夜
By: brechtvhb

僕は自分がやったことを、N主任に報告した。

 

「俺、言ったよな。『東京に染まるな』って。必要なものだけ持って帰って来いって」
N主任が言った。

 

東京研修に行くとき、確かに言われた。

当時の僕にはさっぱり理解できなかったけど、このときになって痛いほどわかった。

「Nさん、俺、辞めます」
少しの沈黙の後、口を突いて出た言葉がそれだった。

 

N主任は僕から視線を逸らして、こう言った。

「今のは聞かなかったことにするから、今日帰って一晩考えて来い。今みたいに気持ちが昂ってるときに決めてもいいことはないから」

「…わかりました」
僕は声を絞り出して、帰路に着いた。

 

新御堂筋を、バイクで走り抜けた。

もしかしたらいつもよりスピードが出ていたかもしれない。

わからなかった。

 

視界が涙で滲んでいた。

それは自分への怒り、不甲斐なさの表れだった。

 

涙は、家に帰り着いても止まらなかった。

 

終焉、そして決別

僕はこの二ヶ月後、会社を辞めた。

すぐに辞めなかったのは僕の意志ではなく、社内調整のためだ。

N主任がうまいこと取り計らってくれて、最短で辞めることができた。

 

辞めることが決まった後、大阪店にかかってきた社長からの電話に出たことがある。

(ちなみに社長は名乗らない。「あぁい」という不明瞭な声で自分が電話かけてきたことを悟れというスタンスだ。これもおかしな話だ)

 

僕だとわかると、社長は烈火のごとく怒りをぶちまけた。

「なんだい、その電話の出方は? ああん? ふざけてんのか。この…〇?%◆▲@□*■◇$」

受話器から耳を離したので、それ以上は聞き取れなかった。

いつものように罵倒していたのだと思う。

電話には普通に出たから、それも気に食わなかったのだろう。
(その会社ではどんなに忙しくても3コール以内に、しかも電話に出て、大声で店名を名乗らなければならないというルールがあった。ヤ〇ザの事務所と似たようなシステムだ)

 

しかし、社長が怒鳴ったのは、会社を辞めるという決断をした裏切り者に対する怒りがあったからだろう。

僕はそのまま会社に在籍して、自分が悪い方向に向かうことを是としたくなかった。

そういう意味では、正しく会社に対する裏切りだった。

 

極めて自分本位な理由で退職の決断をしたけど、それがいいか悪いかは別として、今、同じ状況になっても僕は同じ決断をするだろうなとは思う。

 

あとがきにかえて

大阪店は僕が退職して数年後に閉鎖された。

また東京本店も、その二年後になくなった。

倒産したのだ。

雲隠れしていた社長が再び世に姿を現したのは、謎の事故死を遂げたというニュースで、だった。

【完】

繰り返しますが、この話はフィクションです。

 

前回までの記事はコチラ
新卒で入った会社が割とブラックだった話①
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