クラウゼヴィッツ「戦争論」の名言を取り上げて前後の文章をごちゃごちゃと解説(※長文注意)
クラウゼヴィッツ(Carl Phillip Gottfried von Clausewitz:1780-1831)はプロイセンの軍人でした。
彼の幼年期はフランス革命とナポレオン戦争の時代でした。
※プロイセンとは大雑把に言えば、ドイツのプロイセン地方、およびその地を統治した歴代の国家のことです。
クラウゼヴィッツは「戦争論」で近代戦争を体系的にまとめた初めての人と言われます。
その後、戦争の形が変わったことで、その理論が当てはまらない面も多く出てきました。
にもかかわらず、今もなお軍事や安全保障関係者の間で必読書として読まれ続け、彼の言葉が引用されるのは戦争(または争いごと)の本質的な部分が変わらないからでしょう。
今日はそんなクラウゼヴィッツの言葉から、いくつか取り上げて紹介しようと思っていました。
ですが、ある言葉に違和感を覚えたので、原文に当たってみました。
気になったら調べずにはいられないタイプです(笑)
(※僕は専門家でもミリタリーオタクでもありません。ただの読書家です。誤読御免)
思慮よりも感情?
危険に際して人間を強く支配するのは、思慮よりも感情である。
よく名言として取り上げられる言葉ですが、そこだけ抜き出したのではクラウゼヴィッツが述べている論旨と少々違ってきます。
僕が違和感を覚えたのは『思慮より感情』の部分です。
クラウゼヴィッツは理論家です。
その彼がこう言い切って終わったのだろうかと疑問に感じました。
「思慮より感情だから気をつけよう」という文脈だったらわからないでもないかな、とも思ったのですが…。
この部分について「戦争論」本文を紹介しながら補足したいと思います。
まず、それ以前の本文を一部抜粋したものはこうです。
「戦争論」第一部 第三章より
戦争当事者が、このような予期せざる新事態に当面して、たじろぐことなく普段の闘争を続けてゆくためには、二つの性質が是非とも必要となってくる。
すなわち、その一つは理性であって、これはいかなる暗闇のなかでも常に内的な光を投げかけ、もって真相のいずかれにあるかを発き出すものである。
その二つは勇気であり、この微弱な内的光に頼ってあえて行動を起こそうとするものである。
[中略]
この勇気は理性から生まれるものだからである。
[中略]
理性はまず勇気の感情を覚醒させ、これによって自らを維持し、かつまたこれを己の礎石としなければならない。
この文脈があって
危機に際しては、思想よりも感情がより強力に人間を支配するものだからである。
と述べています。
確かに最後の部分だけを抜粋しても名言でしょう。
でも、その前後を読んでみると、クラウゼヴィッツがそこだけを言いたかったわけではないということがわかります。
「本文読みづらいわ、読んでる時間ないわいな」というあなたのために、僕がわかりやすくしたものを下に記します。
[論旨] 予期しない困難に陥ったとき、理性と勇気(決断心)が必要である。
1. まず、困難が起こったのはなぜなのか、理性が解き明かしてくれる。
2. 理由、原因がわかれば、理性はそれを打開しようとする勇気(決断心)を生んでくれる。
3. 勇気というのは感情であり、(困難に立ち向かうために)この感情を自分の根本としなければならない。
4. なぜなら危機に際しては、思想よりも感情がより強力に人間を支配するものだからである。
※ここで言う勇気というのは肉体的危険に対する勇気のことではなく、責任に対する勇気、つまりある程度精神上の危険に対する勇気のことである。 「戦争論」本文より
※理性とは「感情におぼれずに,筋道を立てて物事を考え判断する能力」のこと。Weblio辞書より抜粋
もっとわかりやすく一言でいえば、
「思いがけない危機に直面したら、まずそれを分析して理解し、勇気(という感情)をもって決断するべきだ」
ということだと思います。
『なぜならば』、というところで、くだんの
「危機に際しては、思想よりも感情がより強力に人間を支配するものだからである。」
という名言が出てくるわけですね。
だから、クラウゼヴィッツがもし生きていたら、「え? そこだけ取り上げる?」と言うかもしれませんね。
ついでに言うと、クラウゼヴィッツはそれらに続けて
この決断心というものは理性が冒険の必要なことを理解し、それによって理性が己自身の意志を確立することをまって初めて成立するものである。
そしてこの理性のまったく独特な性質こそ、まさに人間のなかにある躊躇と動揺とを羞恥の念で抑えつけるものであって、それゆえに強烈な感情をもつ人間の心中にあって初めて決断心は成立するものであるともいってもよいだろう。
とも述べています。
これは、
思い切ることがときには必要であると理解する。そうすることで、今どうすべきかが決まる。
決断する勇気はこの段階で生まれる。
理性は、ためらいや心が動揺することを恥ずかしいと思わせてくれ、決断する勇気を奮い立たせてくれる。
ということでしょう。
で、ここで僕は逆算(というか逆読)してみても面白いなと思いました。
わかりやすいように名言から遡って考えていくと、こうなります。
思いがけない困難に直面したとき、人は感情に支配されがちである。
だからこそ、そういうときには決断する勇気という感情を持たなければならない。
決断する勇気を持つにはどうするか。
困難を分析し、どうしてそういうことが起こっているか分析し、判断することが必要である。
そのためには感情的にならず、筋道を立てて判断する能力を持っていなければならない。
つまり、クラウゼヴィッツは「まず理性をもつこと」が大事だと言っているんですね。
見識と冷静な判断力があれば事態を把握でき、そうすれば勇気を奮い起こせて困難な状況を打開できる。
ということだと思います。
それで納得しました。
やはりその部分だけ抜き出すと、クラウゼヴィッツの論旨から外れてしまいますね。
もちろん、「危機に際しては、思想よりも感情がより強力に人間を支配するものだからである。」という言葉を否定するものではありませんが。
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おまけ&余談
クラウゼヴィッツの言葉で最も有名なのはこれではないでしょうか。
戦争とは他の手段をもってする政治の継続にほかならない。
若い頃の僕が最も衝撃を受けたのが、この言葉でした。
今考えれば当たり前のことですが、幼い頃から学校で空襲や原爆のシーンばかりを見せられ、あたかもそれが戦争だという風に(無意識に)刷り込まれていた僕にとっては驚きでした。
そもそも民間人を巻き込む都市空爆なんて、ただの虐殺に過ぎないということに気づいたのもこれ以降でした。
戦争なんてない世の中がいいというのは当たり前の話です。
知らないのなら、その方が断然いいということにも頷けます。
でも、あまりにそのことについて無知すぎるのはいかがなものかと思います。
学校教育では偏った見方だけではなく、もう少し客観的な視点で戦争というものを教えるべきではないでしょうか。
話が大幅にそれてしまい、申し訳ありません。
クラウゼヴィッツの戦争論を語るにあたって避けては通れない言葉を紹介するのに、この話題を出さないわけにはいきませんでした。
悲惨な戦争を繰り返さないためにも、政治に携わっている方々にはクラウゼヴィッツのこの言葉を理解していただき、うまく国の舵取りをしていただきたいと思います。
まとめ
「戦争論」はクラウゼヴィッツが執筆していたものを彼の死後、妻のマリーとその協力者が編纂し、出版したものです。
そのため重複箇所があり、分量が多く、しかも専門書特有の難解な訳文のせいで通読するのにかなり苦労します。
(解説書がいくつも出ていますし、抄訳、漫画版まであります)
実は僕も戦争論を買った当時、その分量と難解かつ重複箇所の多い文章に嫌気がさし、解説書と引き比べながら読みました。
ですので、通読したとは言い難く、内容も全て理解したわけではありません。
しかも、それが10年以上前のことですからほとんど忘れてしまっていました。(笑)
安全保障関連の方や、いわゆる「ミリオタ」の方々に叱られるような解釈をしているかもしれませんが、軍事素人の戯言だと思ってください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回はマニアック過ぎる記事で申し訳ありません。
これに懲りず、また見に来てやってください。
See you~
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